ドル箱の写真フィルムが存亡の危機に。その時、幹部と社員は何を考えどう動いたのか。
2003年9月。古森重隆・富士写真フイルム社長(肩書きは当時、以下同)は、台湾に飛んでいた。目的は液晶パネルメーカーの訪問だ。
同行したのは液晶偏光板保護フィルムであるTAC(タック)フィルムの新任営業課長、浜直樹。夜、顧客との会食が終わると古森は「飲み直そう」と宿泊するホテルの部屋に浜を招き入れ、こう切り出した。
「写真フィルム事業はこのままじゃダメだ。改革する。おまえたちは、今やっている事業を伸ばしてくれ」
昼間、段取りの悪さを叱責されて恐縮しきっていた浜は「自分のような課長ごときにそこまで言ってくれるのか」。こう胸の中でつぶやき、武者震いした。と同時に、これまで利益の3分の2を稼いできたフィルム事業の切羽詰まった状況を知る。
その頃、写真フィルム営業の司令塔である感材部では、部長の中村和夫が需要予測データを前にため息をついていた。
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