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父は要介護4 リハビリ"中断"が本当に痛かった 経済アナリスト・獨協大学教授 森永卓郎

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もりなが・たくろう●1957年生まれ。東京大学経済学部卒業、日本専売公社入社。経済企画庁への出向などを経て、三和総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)入社。2006年4月から獨協大学経済学部教授(撮影:今井康一)

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4年前に亡くなった私の父は大正生まれで、洗濯もできず、ご飯も作れない人だった。2000年に母が亡くなると、私の家族と同居して妻が世話をしていた。脳出血で突然倒れたのは06年。1人でバス停で待っているときだった。

入院したリハビリセンターのおかげで、横に人がついていれば200メートルほど歩けるようになった。だが当時、小泉純一郎政権の医療改革で、リハビリで医療保険が利くのは180日まで。泣く泣く継続をあきらめると、ろくに歩けない状態に逆戻りした。もう少しリハビリを続けられていたら、その後の暮らしもだいぶ違っていたと思う。

右脳の出血で左半身が不随になったものの、言語や思考に明確な衰えは見られなかった。だから、施設に入るぐらいなら1人で実家に帰ると言って、本当に帰ろうとする。現実問題として介護施設という選択肢はなかった。自宅に介護ベッドを置くためには、ある程度広いスペースがいる。私の弟の家にはそうした場所がなく、結果的に郊外にあるわが家で世話をすることになった。

自宅で困ったのは車いすの移動だ。廊下の幅が90センチしかないので、車いすは通れても切り返しができない。リフォームで段差をなくしたり、手すりをつけたりするのは後からできるが、廊下の幅を広げるのはとてつもなく難しい。結局、その改修はできなかった。

要介護4(介護なしでは日常生活をすることが困難な状態)にもかかわらず、本人は何でも自分でやれると思い込んでいたから、夜中に起きて1人でトイレに行こうとする。途中でひっくり返り、動けなくなることが何度もあった。そこで家中に救出用のブザーをつけ、倒れたらこのボタンを押してくれとお願いしていた。風呂も1人で入れると言って絶対に聞かない。仕方なく浴槽まで連れていったものの、しばらくすると何の音もしなくなる。様子を見に行くと、倒れて動けなくなっていた。大人1人を引きずり出すのがどれだけ大変だったか。

父は新聞記者だったせいもあり、何でも疑ってかかるし、どんな話でもウラを取ろうとする。介護サービスを使う中でもいろんなトラブルが起きた。

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