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ルポ 私と介護離職 その日は突然訪れた

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「仕事も介護もつらい 首を吊ろうと思った」

ハンコ一つで、人生がこんなに変わってしまうなんて──。

山梨在住の廣瀬仁史さん(53)は現在、要介護4の母親(88)と妹(50)との3人暮らしだ。母親は16年前に脳血栓で倒れてから入退院を繰り返し、13年前に要介護の認定(当時3)を受けた。妹には生まれながらの精神疾患がある。

廣瀬さんは介護離職後、パートを転々としながら母親と妹の介護を続けている(撮影:尾形文繁)

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唐突な転勤の強要 示された「通告書」

廣瀬さんが長年勤めていた地元の貴金属加工会社では年収1000万円に迫る時期もあったが、経営悪化から10年以上前に倒産した。その後、部品メーカーで契約社員として働き始めたものの、母親は体調を崩すことが多く、デイサービスの施設からたびたび呼び出される。うつ病を抱える妹も調子が悪くなると、勤め先から連絡が来る。月に5~6回、仕事を中断して家族の元に駆け付ける廣瀬さんに上司は、「うちは慈善事業じゃないんだよ」と、露骨に嫌みを言うようになった。

部品メーカーに入って4年目のある日、「これにハンコを押してもらえる?」と、上司から転勤承諾書を差し出された。介護があるから転勤はできないと入社時に伝えていた。その場で断ると「じゃあ、こっち」。解雇通告書だった。これ以上、嫌な思いをするのは耐えられなかった。正社員として就職した次の会社でも同じように介護の理解が得られず、つらくなって離職した。

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