リベラルな言語への風当たりが厳しいが、危機なのは言語全体かもしれない。左右両陣営への探訪ルポ。
私がまだ朝日新聞社の社会部デスクだった2001年10月のことだ。この年起きた9.11同時多発テロへの報復として、米・英軍がアフガニスタン空爆を開始した直後の社説は、朝日の社論を大きく踏み越えるものだった。
「テロ組織を壊滅させるには、訓練基地や軍事施設などに目標を絞った限定的な武力攻撃はやむを得ない、と考える」 従来の朝日は、たとえどんな理由があるにしろ武力攻撃は避けることを社是としてきた。社内の議論も経ない、いきなりの社論変更に、私は当日の編集会議で二つの質問を投げかけた。朝日の社論は変わったのか。そして空爆の下で一般人が巻き込まれていない確証もない段階で、「容認」を打ち出してよいものなのか。
結局、その社説はいささかの変更もなしに掲載された。
今になって思えば、この頃は保守陣営の圧力が強まってきた時期と重なる。朝日とは対極の歴史認識を主張する「新しい歴史教科書をつくる会」が1997年に旗揚げし、朝日の「自虐史観」を糾弾していた。また、「大東亜戦争」を肯定する漫画家の小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』が若者の間で支持を集めるなど、右傾化が叫ばれていた。
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