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リベラリズムの精髄 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』の著者が語る

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井上達夫 東京大学大学院法学政治学研究科 教授 

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版)という長いタイトルの本が話題だ。正義論の立場からリベラリズムを論じ、日本のリベラル(派)の偽善性を説く。著者の井上達夫・東大教授(法哲学)に、リベラリズムの本質を聞いた。

いのうえ・たつお●1954年生まれ。東大法卒。千葉大助教授を経て現職。専門は法哲学。『共生の作法』でサントリー学芸賞受賞(86年)。著書に『現代の貧困』『普遍の再生』『法という企て』など。(撮影:尾形文繁)

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──日本のリベラル派を断罪しつつ、リベラリズムの重要さを説いていらっしゃいます。

まず言葉の整理をしておくと、自由市場経済を尊重する市場原理主義と小さい政府を志向する立場を「リベラル」と呼んだ時代もありましたが、今は「リバタリアン」と呼ばれます。「保守」対「リベラル」という図式では、社会経済政策については保守がリバタリアンであり、リベラルはむしろ福祉国家擁護と見なされている。社会保障を重視するという意味でのリベラルは、国民の多くが支持しているはずで、現代日本では一層、必要とされていると思います。

護憲派や安保法制反対派を指して「リベラル派」と呼ぶのは正しくない。昨年、朝日新聞の慰安婦報道での不祥事を契機にして朝日バッシングが広がったように、国民の間にリベラル(な人たち=リベラル派)嫌いが広がっているように見えるけれど、信用を失っているのは市民を称しながらもエリート主義に陥っている偽善的なリベラルです。

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