「使えない大人」を量産する教育に足りないもの 現代社会に必要なのは「親世代が知らない学び」
(写真:聖徳学園提供)
大人が変われば、社会は「創造性ある学びの場」になる
品田氏が生徒の自主性にこだわる理由の1つには、自身の若い頃の反省がある。前任の高校ではいわゆる「大学受験のための授業」をしており、「俺の話を聞け、俺の板書と同じノートを作れ、という方針でした」。だがある時、同僚が教える英語の授業を見学する機会があった。品田氏はそこで、自分が教えている生徒が、別人のように生き生きしているのを見た。
「それはチームで協力してコミュニケーションを図りながら、互いに表現力を高める形式の授業でした。私の授業のときとはまったく違う楽しそうな表情を見て、『ああ、このままではいけない』と感じました」
以来、品田氏は「自分なりの新しい授業」の模索を始めた。現在は「自分たち教員はあくまで助言者だ」と考えている。だがそれは、教員の達成感をそぐことでもあるという。生徒自身に学ばせる授業では、教員が全体に向けて話をする時間が少なくなるからだ。
「私は授業で話すことがとても好きなので、実はストレスがたまります(笑)。でも教員の達成感が減った分は、生徒の達成感になっているはずです」
過去の授業の主演は教員だったかもしれないが、これからの授業の主演は生徒であるということだ。過去の教育から脱却するためには、教員が変わるべきだと話す。どんな教員を目指すかという目標設定にも、変化が求められている。
「自分がいい先生に出会った経験からこの仕事を選んだ教員は多い。私もそうでしたが、そういう教員は、無意識に自分が教わった授業の再生産をしてしまうのです。コピーは繰り返すたびに劣化するし、われわれの時代とは今の子どもたちに求められていることは違います。手本とする過去の先生をまねた授業で、教員が自分の満足感を追っていてはいけません」
生徒たちに「見本と同じものを作らせない」指導をする時代に、教員が誰かのコピーをしていていいはずがない。品田氏はさらにもう1つ、社会に即した教育の実践を阻むハードルを挙げる。社会に子どもたちの学びを受け入れる体制がないという現状だ。
「以前の授業で、学校近くのコンビニエンスストアの経営シミュレーションを行ったことがあります。特別な数日を想定し、お茶やおにぎりなど、いくつかの製品の売り上げを予想するというものでした。クリスマスや年末年始、天候によって売れ行きはどう変わるか。身近で具体的な課題に、生徒たちは大喜びでした」
しかし、肝心のコンビニの協力を得ることができず、実際の数字で答え合わせをすることはできなかった。ほんの数日の限られた数品とはいえ、企業が売り上げを公開するのが難しいことは、品田氏も納得している。だが、こうした学外の理解があるかどうかが、子どもたちのやる気を左右すると感じている。
「自分たちの予想が実際とどう違うのか、生徒はリアルなことが知りたい。国際協力プロジェクトでもそうでしたが、やはり現場を知るプロに評価してもらえると、生徒の本気度も変わります。『太郎さんと花子さん』の話ではなく、現実世界の自分たちの問題だからこそ、興味を持って取り組めるのです」

















