ICT活用で、自分で勉強できる喜びを実感してほしい

聖徳学園中学・高等学校(東京都武蔵野市)は「個性」「国際性」「創造性」を教育方針とする共学校だ。現在はSTEAM教育とグローバル教育を両輪に据えており、入学後に学力を大きく伸ばす学校としても知られている。2017年から同校で学校改革本部長を務める品田健氏は、iPadやさまざまなソフトを導入して教育の効率化を図ってきた。同校では功を奏している取り組みだが、とくに公立学校に勤める教員仲間からは、苦労話を耳にすることもあると言う。

「iPadの持ち帰りについて、保護者が『際限なく遊んでしまうのではないか』と難色を示すこともあると聞きます。自分たちが受けた教育との違いに戸惑いもあるのでしょうが、やりがいがある楽しい課題が出ていれば、子どもたちが遊んでしまうことはありません」

ICT教育やGIGAスクール構想の利点は、ただ情報活用に長けた人材を育てることだけにあるのではない。品田氏はその最大のポイントをこう語る。

「昔は情報を得る手段が少なく、勉強する方法といえば学校に行くしかなかった。でも今は違います。先生がいなくても教科書がなくても、その気になればある程度は自分で学ぶことができる。それを子どもたちに実感してほしいのです」

教員と教科書が絶対の閉鎖空間だった教室が、子どもたちが自ら新たな情報を求めることで外の世界とつながる。インターネットの活用は、社会と隔離されていた教育を外に向かって開く、新たなドアになりうるのだ。だが品田氏は、教員のすべきことは少ないと話す。

「われわれはその入り口まで連れていくだけです。学ぶことに喜びを感じられれば、子どもたちは自発的に調べて進んでいく。大切なのは、学びに『創造する余地』があることです」

そうした学びの実例として、品田氏は高校1年生が外国語のレッスン動画を制作した授業を挙げた。動画は自動的に音声を認識して字幕を付けてくれるアプリケーションで作成され、生徒自身が出演してあいさつなど簡単な外国語を解説する。正しい発音でなければ正しい字幕が表示されないので、生徒は動画の体裁だけでなく、外国語のクオリティーにも気を配る必要がある。授業では使用するアプリケーションを伝えてサンプル動画を見せたら、あとは生徒任せ。自然と見本と同じものは作らないようになる。アプリケーションの詳しい使い方は教えないし、どんな言語を選ぶかも自由なため、「知らない言語なので先生は教えられません」と宣言した。

多彩な言語が披露された外国語レッスン動画。完成後は生徒が互いに見られるようにした
(写真:聖徳学園提供)

だが「教えてもらえないから」とつまずく生徒はいなかった。友達同士で相談したり、もちろん自分で調べたりして、ソフトの使い方もあっという間に習得。制作期間がコロナ禍によるオンライン授業だったことを逆手に取り、外国語で在宅の家族を紹介する生徒も現れるなど、自由な発想は品田氏をうならせた。

自ら学んだ経験が、大人になっても学び続ける姿勢をつくる

「今、大学生が学ばないとか、就職してもパソコンが使えないとかいわれることがありますが、本当にやらせたいなら自発的にやりたいと思わせることが必要です。例えばタッチタイピングの練習をさせなくても、伝えたいことがあれば子どもたちは自然に練習するようになる。そうした生徒の心をつかむ課題は、教室の中で完結しないことばかりです」

品田氏はいい課題を見つけることが教員の役割だと考えており、学外との連携も積極的に行っている。その1つが、高校2年次に取り組む国際協力プロジェクトだ。

「生徒は自分たちで対象とする国を選び、その国の抱える課題を調べます。課題解決のためにできることを考え、さらにその解決策を実践するところまで行います。中間発表と最終結果報告にはJICA(国際協力機構)職員や大学教員、起業家などを招いて意見を聞くのですが、専門家の現実的な言葉には教員もハッとさせられます」

水資源の問題を抱える国に向けて、「ペットボトル浄水器」を送る案を出したグループがあった。自分たちで作った浄水器の試作品を持って中間発表に臨んだが、JICA職員から「君たちが対象とした地域ではそもそもペットボトルが手に入らない。その案は意味がない」と痛烈な指摘があったそうだ。

また、貧しい国への支援というと、生徒たちからはすぐに「募金しよう」「物資を送ろう」という案が出るという。こうした案にも「わずかなお金や物資を送って、数人が受け取って終わりなのか」という厳しい意見が向けられる。

「大人の容赦ない言葉に生徒たちは驚きますが、プロがしっかり向き合ってくれることに刺激されて、根本的な解決策を考えるようになります。自分のアイデアを実現するには予算が足りないとわかり、LINEのスタンプを作って売った生徒もいます。さらにその売り上げを元手に基金をつくり、長期的な支援策に結び付けました」

こうした実社会の課題では、教員といえども生徒の質問に答えきれないことが多い。そんなとき、品田氏は「正解は1つではないから、先生にも正解が教えられない」とはっきり伝える。

「大人にもわからないことがあると示すことで、いい意味で、教員が答えをくれることを期待しすぎない姿勢が身に付くと思っています」

では誰に聞いたらいいのか、どんな専門家がいるのかと考えることは、生徒たちの進路選びにもつながるはずだ。こうした「自分で学んだ経験」を品田氏が重視するのは、それが大人になっても自発的に勉強する人を育てると考えているからだ。

「社会に出て新しい分野や局面に触れたとき、また勉強してみようと思える人になってほしい。教員でも未経験のことに対し『やったことがないから』と尻込みする人がいますが、自分が経験したことのない教育にシフトして生徒に向き合っていかなければ、社会で使えないといわれる大人が増えてしまうと思います」

生徒自身が考える時間が多い品田氏の授業。休み時間まで集中して作業を続ける生徒も
(写真:聖徳学園提供)

大人が変われば、社会は「創造性ある学びの場」になる

品田氏が生徒の自主性にこだわる理由の1つには、自身の若い頃の反省がある。前任の高校ではいわゆる「大学受験のための授業」をしており、「俺の話を聞け、俺の板書と同じノートを作れ、という方針でした」。だがある時、同僚が教える英語の授業を見学する機会があった。品田氏はそこで、自分が教えている生徒が、別人のように生き生きしているのを見た。

「それはチームで協力してコミュニケーションを図りながら、互いに表現力を高める形式の授業でした。私の授業のときとはまったく違う楽しそうな表情を見て、『ああ、このままではいけない』と感じました」

以来、品田氏は「自分なりの新しい授業」の模索を始めた。現在は「自分たち教員はあくまで助言者だ」と考えている。だがそれは、教員の達成感をそぐことでもあるという。生徒自身に学ばせる授業では、教員が全体に向けて話をする時間が少なくなるからだ。

「私は授業で話すことがとても好きなので、実はストレスがたまります(笑)。でも教員の達成感が減った分は、生徒の達成感になっているはずです」

過去の授業の主演は教員だったかもしれないが、これからの授業の主演は生徒であるということだ。過去の教育から脱却するためには、教員が変わるべきだと話す。どんな教員を目指すかという目標設定にも、変化が求められている。

「自分がいい先生に出会った経験からこの仕事を選んだ教員は多い。私もそうでしたが、そういう教員は、無意識に自分が教わった授業の再生産をしてしまうのです。コピーは繰り返すたびに劣化するし、われわれの時代とは今の子どもたちに求められていることは違います。手本とする過去の先生をまねた授業で、教員が自分の満足感を追っていてはいけません」

生徒たちに「見本と同じものを作らせない」指導をする時代に、教員が誰かのコピーをしていていいはずがない。品田氏はさらにもう1つ、社会に即した教育の実践を阻むハードルを挙げる。社会に子どもたちの学びを受け入れる体制がないという現状だ。

「以前の授業で、学校近くのコンビニエンスストアの経営シミュレーションを行ったことがあります。特別な数日を想定し、お茶やおにぎりなど、いくつかの製品の売り上げを予想するというものでした。クリスマスや年末年始、天候によって売れ行きはどう変わるか。身近で具体的な課題に、生徒たちは大喜びでした」

しかし、肝心のコンビニの協力を得ることができず、実際の数字で答え合わせをすることはできなかった。ほんの数日の限られた数品とはいえ、企業が売り上げを公開するのが難しいことは、品田氏も納得している。だが、こうした学外の理解があるかどうかが、子どもたちのやる気を左右すると感じている。

「自分たちの予想が実際とどう違うのか、生徒はリアルなことが知りたい。国際協力プロジェクトでもそうでしたが、やはり現場を知るプロに評価してもらえると、生徒の本気度も変わります。『太郎さんと花子さん』の話ではなく、現実世界の自分たちの問題だからこそ、興味を持って取り組めるのです」

品田 健(しなだ・たけし)
聖徳学園中学・高等学校学校改革本部長
東京学芸大学教育学部B類国語科卒。Apple Distinguished Educator class of 2015、Adobe Education Leader 2020、iTeachers Academy理事。副校長を務めた桜丘中学・高等学校では、次世代教育開発担当参与としてICTの導入・活用を推進した。2017年4月より現職

品田氏は、閉じた教育に欠けているのは、自発的な学習につながる「創造性」だと繰り返す。これからの教員が子どもたちに示すべきは、好奇心や探求心を刺激する多様な課題だ。その答えは閉じた教室内では到底得られず、子どもたちの関心はおのずと外へ向く。優れた課題によって教室は現実社会とつながり、開かれた学びの場に変わるだろう。そうした教育を実践する教員には、特徴があると品田氏は言う。

「共通するのは、教員自身もクリエーティブな学びや活動を楽しんでいるということです。そしてその楽しさを子どもたちに押し付けるのではなく、自分が楽しむ姿を見せることで伝えようとしています」

激務が教員の余裕を奪う現状を指摘しつつ、品田氏は「社会で学ぶ大人の姿を子どもに示すこと」の重要さを説く。

「例えば学校内なら、放課後に教員が図書館で本を読んでいるとか、教員同士が集まって議論しているとか、新しいツールの研修をしているとか。子どもに本を読ませたいなら、ただ家に本を置くだけでなく、家族が読書に親しんでいる姿を見せる。iPadなどのデジタルツールも同様です。子どもがスマホに夢中で困るといわれますが、通勤通学の車内では、大人のほとんどがスマホに夢中です。スマホが悪いわけではありませんが、その多くが動画を見たりゲームをしたりしている。そうなれば当然、子どももそんなスマホの使い方しかできません。もし大人がスマホで勉強していたら、子どもだって変わるはずです」

大人が楽しんで学び続ける社会は、子どもの好奇心も自然に受け入れ、誰にとっても優れた学びの場となるだろう。社会とつながる学びを子どもに提供するには、その社会を形成する大人自身が学ぶ必要があるということだ。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:ヒダキトモコ)