マスコミ衰退を憂う人に伝えたいニュースの未来 溢れんばかりの課題は同時に可能性を指し示す
こうした状況に対し、彼らは人間のバイアスを理解し、テクノロジーの側から歯止めをかける方法を模索しているようです。極めて重要なアプローチですが、ニュースの発信者である僕は、もう1つつけ加えたいことがあります。それは環境に流されず、質の高いニュースを出し続けることの大切さです。
ニュース発信者にこそ受け身ではない方法や哲学が必要
現実的な人間像から考えれば、「フェイクニュースに対抗しよう」という受け身の姿勢だけでは問題が解決しないことは明らかです。より効果的なファクトチェックの方法や、テクノロジー、教育などは今後も開発されていくでしょう。それに加えて、僕はニュースの発信者にこそ、受け身ではない方法の追求や哲学が必要だと考えています。
課題は同時に可能性を指し示すものです。多くの人にとってニュースのイメージというのはお硬いもの、新聞記事やテレビのニュース、客観的な事実だけを伝える正しい情報、何かにつけ批判ばかりしていてわくわくすることがなく、悲観的でつまらない、といったものではないでしょうか。僕は、それらはニュースの世界では「そういう一面もある」というものにすぎず、すべてではないと考えています。
本来ならインターネットという武器を手に入れたことで、ニュースの世界はより多様で、より自由な伝え方を模索できるようになるはずでした。しかし、現実はそうはならなかった。インターネットは可能性だけでなく、大きな課題も同時に突きつけるテクノロジーになりました。
しかし、悲観ばかりしていてもしょうがない。技術の進歩はこれからも進みます。それをニュースの発信者にとって追い風にする必要がありますし、僕は条件付きでそれは実現可能であると思うのです。
追い風にする条件とは何か。それは、手段が自由になったからこそ、ニュースとは何かという物事の本質を理解することです。そして、自分なりにでもいいので変わらない軸を持つことです。
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