キャリア官僚が霞が関を捨て「地方移住」したワケ 兵庫県豊岡市で「地域おこし協力隊」として活動

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ただ、その生活も長くは続かない。竹野町での生活は3年で終わり、2014年4月には再び霞が関の本省へ。満員電車を避けることはできないが、できるだけ短時間の乗車で済むよう、霞が関から4駅の四谷三丁目駅近辺に家を借りた。家賃は10万円で、広さは30㎡程度(1K)。竹野町とは正反対の窮屈な空間に身を寄せる生活になった。

霞が関官僚の仕事は激務だ。特に国会開会中は、野党議員からの質問通告を待ち、質問の意図がわからなければ、ヒアリングに行く。そうして答弁書を作成したり、大臣へのレクを行ったり、国会対応に明け暮れる。丹下さんはこう振り返る。

「朝は9時くらいに登庁し、退庁は早い日で22時くらい。国会対応などで終電がなくなり、タクシーで帰る日もありました。土日に登庁しなければならないこともあり、各省庁にはもっとハードな部署もたくさんありましたが、自分はこのままでは体が壊れると思いました」

好きな町から若者が去るのが寂しい 

私は何をしてるのだろう―。

先輩を見ても、自分の目指したい将来像ではなかった。自然に囲まれた場所で仕事がしたい。竹野町での生活が恋しかった。

7月、休暇を使って竹野浜海水浴場で開催される「たけの海上花火大会」に向かった。やはり、ここで暮らしたい――。だけど、どうやって生計を立てていけばいいのか。

竹野町で働いていた時代に仲良くなった地元住民に相談すると、役場が地域おこし協力隊を募集していることを知った。迷いはなかった。自分が好きになった町から若者が少なくなっていることが寂しい。でも、何ができるのか。3年の任期の間に考えようと思った。

丹下さんは環境省を退職し、2015年4月に豊岡市に移住した。給料は16万6000円。住居費は市が活動経費として負担してくれた。

着任後は市内の観光案内施設の改修に携わったり、山陰海岸の地質遺産を見ることができるカヌーのインストラクターをしたりもした。改めて生活を始めた竹野町は山と海に囲まれ、新鮮な魚や野菜が地元コミュニティーから賄える「本当に贅沢な環境」だった。なぜ、こんな素晴らしい町なのに、若者が都会に出て戻ってこないのか不思議に思った。

自分の大好きな竹野町をみんなに知ってほしい。そうして、入隊2年目にNPO法人たけのかぞくを設立した。協力隊退任後に知り合った男性と結婚。平屋の古民家を安価で購入し、自分たちで改修した。これからも、竹野町で生きていくつもりだ。

地域おこし協力隊の制度について、丹下さんはこう話した。

「何かやりたいことがあれば、まだ何ができるのかわからない状況でも田舎暮らしをスタートすることができ、実行に向けて3年の準備期間が与えられる。その間に、地域との関係を作ったり、地域のニーズを調べたりすることができます。地方での生活を憧れる人にとって、うまく活用できれば有効な制度だと思います」

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