この局面の濃厚者接触者探しが極めて不毛な訳 感染研がこだわるクラスター対策、今はムダだ

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要するに、感染が広がり始めた時にいち早く「感染の芽」をみつけて丁寧に摘んでいく作業が積極的疫学調査なのだ。いまはもう、その作業が追いつかず、雑草が生い茂っている状態のようなもので、その横で新たにでてきた芽を摘んだところで、雑草がなくならないことは明らかだ。

要領には、「強力に地域の社会活動を停止させ、強制的にヒト-ヒト感染の経路を絶つ」施策が行われる場合について、こう書いてある。

「感染経路を大きく絶つ対策が行われているため、個々の芽を摘むクラスター対策は意味をなさない場合がある」

これは、緊急事態宣言が出ているいまの状況ではないか。そうだとしたら、積極的疫学調査というクラスター対策は「患者発生が一定レベルを下回る段階に落ち着いた時点」(要領)を待って再開するほうが合理的だろう。

1月8日の改訂で抜け落ちた「本稿の位置づけ」

ところが、感染研は、首都圏に新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発令された翌日の1月8日、この要領を改訂したことをホームページで知らせた。

その改訂版からは、先述の「本稿の位置付け」の項目がすっぽり抜けた。

そして「感染経路を大きく絶つ対策」が行われている時には「個々の対応を丁寧に行うクラスター対策は大きな効果を発揮しなくなる場合がある」としながら、「対策の優先度を考慮し、効果的かつ効率的に積極的疫学調査をすることが重要になる場合がある」と、限定条件を入れて逃げを打ちながらも積極的疫学調査をあくまでも続けることが前提の内容ともなっている。

これはもう、大規模な空襲で都市を焼け野原にする作戦に、竹やりで応戦せよと命じているようなものといえるだろう。

積極的疫学調査は、感染源を追うことで感染者を早くみつけ、次の感染者を未然に防ぐという流行初期の対応としては多くの専門家が意義を認める古典的な感染症対策だ。筆者もこれを否定するつもりはない。ただし、それはウイルスや細菌を見つけることができて根絶やしにすることができる場合だ。

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