160年前の米国「大統領選」決着後に起きた亀裂 混乱が続く中でどう事態を収拾しようとしたか

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かくして1861年2月4日から17日にかけて行われた南部諸州のモンゴメリ会議は、彼らの新国家、アメリカ連合国を樹立するための暫定憲法を作成し、発表する。そして彼らは自分たちの暫定大統領として、ミシシッピ州選出の合衆国上院議員だったジェファーソン・デービスという男を選出するのである(後、正規の大統領に就任)。

ただし、この時に制定された暫定憲法のほとんどは合衆国憲法の引き写しで、必ずしも新国家の目標を明確に表していたものでもなかった。かつ、エモリー大学教授で軍事史家だったベル・アービン・ワイリーの指摘するように、この会議の議事は非公開で、デービスの大統領選出は「満場一致」で決まったとされてはいるものの、「どのような事件や力が作用してデービスの当選となったかを、歴史家が再現するのは難しい」(『南北戦争の歴史』より)

アメリカの南北が分断される

しかも、デービス自身はモンゴメリ会議のメンバーではなく、自分が新国家の大統領になったということを、地元ミシシッピで知らされた。そのとき彼は、合衆国から離脱した地元のために、新しい州の軍事組織を立ち上げている最中であった。

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デービスはウェストポイント陸軍士官学校の卒業生で、1846〜48年の米墨戦争に従軍。その後の1853年に成立した民主党、フランクリン・ピアース大統領の政権で陸軍長官を務めた、自他ともに認める軍事通であった。彼は南部の新国家には軍人として貢献しようと思っていたところ、突然大統領職を提示され、当初はかなり戸惑ったらしい。

前述のように、南部連合がなぜデービスを首班にすえたのかという点には、不明な部分が多い。ただ多くの歴史家たちは、デービス本人は極めて穏健な紳士であるため、独立直後の新国家の調整役として、また合衆国との戦いを見越し、軍事指導者として期待されたのではないかと指摘している。

このような事情からもわかるように、新国家アメリカ南部連合国の独立は、南部の政治家、つまり南部の上流階級たちだけが勝手に集まって決めたことで、民衆全体の要求で決まったことではなかったのだ。

小川 寛大 『宗教問題』編集長

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おがわ・かんだい / Kandai Ogawa

1979年熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。宗教業界紙『中外日報』記者を経て、2014年、宗教専門誌『宗教問題』編集委員、15 年に同誌編集長。著書に『神社本庁とは何か』(K&Kプレス)、『南北戦争』(中央公論社)、『創価学会は復活する!?』(共著、‎ ビジネス社)など。

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