東海林さだお「ビールのつまみは枝豆に物申す」 勇猛をふるって全国民的合意に異を唱えたい
この発言によってわたくしは職を失い、地位を奪われ、妻子を捨て、石もて故郷を追われて貧窮にあえぐことになるのだ。
せっかくいままで「ビールには枝豆」ということでうまくやってきたではないか。いまさら何を言うのか。週刊誌はわたくしを糾弾し、テレビ局は走って逃げるわたくしを「一言おねがいします」と叫びつつ走って追いかけてくる。
それでもわたくしは言う。
「ビールに枝豆は合わない」と。
濃厚、こってり、油っ気がつまみの基本
走って逃げつつ、わたくしは追いかけてくるテレビ局員のマイクに向かって叫ぶ。
「あのですね、ハアハア、ビールの本場ドイツではソーセージですよね、ハアハア、ギネスのイギリスはフィッシュ&チップス、バドワイザーのアメリカはピザ、もしくはフライドチキン、共通するものは何だと思います? そうです。濃厚、こってり、油っ気。これがビールのつまみの基本です」
そりゃあなんたって油にまみれた唐揚げを食べたあとを、冷めたーいビールが通過していく喜びは、淡泊な枝豆の比ではない。なぜこのように基本からはずれているものが日本ではビールの無二のつまみとして定着してしまったのか。
ワイドショーでも「ビールに枝豆ははたして真実か」というテーマで取り上げられ、
「そのあたりのこと、ピーコさんどう思いますか」
と司会の草野仁さんにふられたピーコさんあたりが、
「やはり風物詩としての意味もあるんじゃないですか。ビールの季節と枝豆の季節がちょうど重なって」
と発言したところに假屋崎省吾さんが割って入って、
「枝豆を食べるときのあの所作、1粒ずつサヤからひしぎ出して食べるという……あれも1つの夏の風物詩ですよね。もし枝豆が全部剝いてあって大皿に盛ってあったら誰も食べる気しませんもの」
はたしてそうだろうか。剝いてあったら誰も食べる気にならないのだろうか。
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