グローバル化が進み海外旅行が当たり前になった。インターネットやSNSの普及のおかげで、人種や国の隔たりなく共通の興味や思考を持つ世界中の人と簡単につながれるようになった。その一方で、興味のない隣の人のことは、名前さえも知らない、そんな日常がコロナ以前のイタリアでも当たり前の光景になっていたように思う。
それはニュースアラートを設定して興味のある情報だけを読む、好きな音楽だけをスマホにダウンロードして聴くことに似ていると思う。世界が広がっているようで、実はとても狭い。そんな生き方に、コロナで強制的にとはいえ、変化が起きたのだ。
バルコニー越しにおしゃべりをしたり、散歩の途中で言葉を交わしたりしたことで、普段はまったく交わることのない人、興味の対象外の人との付き合いの中に新しい発見があったのだ。とても素敵なことだと思う。
日常となった「消毒、マスク着用、検温」
今のイタリアには、ほぼ普通の生活が戻っているとはいえ、店やレストラン、公共交通機関を利用するときはマスクをするのが義務だったり、ソーシャルディスタンスを取らなければいけないなど、つねにコロナウイルスの恐怖と背中合わせの暮らしだ。
レストランや商店の入り口には必ず消毒ジェルが置かれていて、客は入る前にまず手を消毒する。レストランでは、テーブルとテーブルの距離は開けてあるものの、同じテーブルの人と人の距離は今までどおりだ。
入店して席に着くまではマスクをしていなければいけないが、座ったら外していい。トイレや支払いに立ち上がるときは、再度マスクを着用する。メニューはQRコードを導入しているところもあれば、スマホにメッセージで送ってくる店もあるし、普通の紙のメニューの店もある。

先週、仕事で州外へ出かけた。宿泊して、朝食を食べに近所のカフェに入ろうとしたら、マスクをホテルに忘れたことに気がついた。近くにマスクを売っていそうな店もない。
困ったあげく、カフェの外からカウンターの中にいる店員に手を振ってみると気づいてくれた。事情を説明すると「いいですよ、中に入って注文して支払いをしてくれたら、すぐに外の席に行ってください。僕が持っていくから」とにこやかだ。本当は「違反」なのだろうが、こんなふうに融通が利くところがイタリアのいいところだ。
取材旅行の往復で乗ったイタリア国鉄の高速列車”フレッチャ・ロッサ”(赤い矢という意味)では、2席1列の席は1席ずつしか予約が取れないようになっていて、ソーシャルディスタンスが厳しく取られていた。いつもなら混んでいると荷物を膝に抱えていなければいけないこともあるから、コロナウイルスのおかげで楽チンという皮肉さだ。
列車が出発すると、缶入りの水と紙コップのほかに、マスク、消毒ジェル、使い捨て手袋、背もたれにつけるヘッドカバーがセットになったウェルカムキットが配られた。水のボトルもコップもプラスチックではなくなったのは、コロナ以降、より環境に配慮してのことだろうか。
ホームに降りる前には熱を測る係員がいたり、階段やホームにも人混みができないように進行方向を示す矢印が書かれていた。全体的に清潔できちんとしていて、旅行をするのは怖いという印象はまったくない。
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