新幹線「5月減便ダイヤ」過去と比べどうだった? 1964年から現在までのダイヤと比べて判明

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1964年の開業時の本数は、ひかり、こだまともに1時間に1本。こだまは途中駅でひかりに追い抜かれるというダイヤで、新大阪まで抜かれずに行く列車は1時間に1本。1日14本しかなかった。

その後は年を追うごとに、ひかり、こだまともに運転本数が増加。1972年10月号の時刻表をみると、ひかりが1日38本、こだまが30本まで増えている。現在の東京→新大阪のこだまの運転本数が11本ということを考えると相当な本数だ。

こだまの本数が多かったのは、おそらく当時のひかりが全席指定席だったことや、速達タイプと各駅停車タイプの新大阪までの所要時間の差が、現在ほど大きくなかったことが理由だろう。

1972年、ひかりに自由席が設定されると、こだまの増発はなくなり、ひかりの本数が増えていく。博多まで延伸した1975年の時刻表をみると、東京→新大阪のひかりの本数は1日52本(追い抜かれない列車も1日52本)、日中の1時間当たりのひかりの本数は3.5本と、今年5月に実施された減便ダイヤよりも多い本数で運行されていた。

7~8月は臨時列車が増える?

開業以来、ひかりの新大阪までの途中停車駅は名古屋、京都のみだったが、1976年になると新横浜や静岡に停車する列車が登場。代わりにこだまを減便するという措置が行われる。このときの日中の1時間あたりの運転本数は、ひかり4本、こだま2本。追い抜かれずに新大阪まで行く列車は4本だった。

では、減便時における1日の運転本数は、どの時代と同じぐらいなのか。減便ダイヤの本数は、のぞみ、ひかり、こだま合わせて87本。調べると1986年、87年が同じ本数(ひかり61、こだま26の合計87本)であることがわかった。ちなみに日中の1時間当たりの本数は減便ダイヤも当時のダイヤも同数の6本。日中の新大阪まで追い抜かれない本数は86、87年の方が多いが、今回の減便ダイヤは昭和末期、1986年、87年と同レベルのダイヤと言えるだろう。

さらに時刻表を読み進めると、追い越されずに東京→新大阪へ行ける新幹線定期列車の1日の最大本数のピークは、のぞみの運転が始まった1992年であることがわかった。

1992年に登場した東京発ののぞみは、始発と新大阪行の最終の列車として設定されたため、ひかりのすべての列車が新大阪まで先着。そのため追い抜かれない列車は89本と、現在のダイヤより9本も多い。さらに日中の追い抜かれない列車の本数は1時間あたり5.3本と、現在より1.3本も多かった。

1992年以降は、最高時速270kmののぞみと同220kmのひかり、こだまが混在するためダイヤの編成が難しく、新大阪まで追い抜かれない列車の本数が減少するも、2003年の品川駅開業時に行われたのぞみ大増発のダイヤ改正から本数が増え、2009年から現在と同じ、日中の追い抜かれない本数が1時間に4本となった。

今年3月より、1時間あたり12本ののぞみが運転可能となった東海道新幹線。7月より新型車両N700Sの運転が始まり、JR東海の金子慎社長は記者会見で「7〜8月は相当臨時列車を増発する」と発言している。

新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いて、この夏の利用状況が好調なら、来年のダイヤ改正では新大阪まで抜かれない定期列車が90本以上という、1992年を超える本数の列車を設定するかもしれない。

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