「コロナに負けない」ある台湾老舗屋台の戦略 「巣ごもり」狙いのデリバリー需要が好調に

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兩喜號にとって、感染症との戦いは今回が初めてではない。2003年に台湾でも大流行したSARSを、休業することなく乗り越えている。いわば感染症危機からのサバイバーなのだ。

2003年4月、台湾でSARSの突発的発生が確認された。台北市立和平病院における院内感染がきっかけだ。この院内感染は最初の患者を受け入れてから、わずか数日で収拾がつかない状態に陥り、病院は閉鎖。これを契機に、台湾は数カ月にわたるSARSとの戦いを強いられた。

和平病院は、兩喜號の本店からそう遠くない場所にある。さらに、同時期に院内感染により閉鎖された仁済病院はほぼ隣だ。店があるエリアは、突如として感染の中心地になってしまった。

世の中に「店を開け続ける」と発信

当時、まだ学生だった陳氏はこう振り返る。「外は本当に人っ子1人いなかった。学校に行くと、おい、感染エリアから出て来たのか!?」と恫喝されることもあったという。

SARS当時の経験などを振り返る4代目店主の陳輿安氏(写真:郭恣安)

SARS流行時に店を経営していたのは4代目で父親の陳秉駿 (ちん・へいしゅん)氏だった。周囲の店が次々と休業していく中、兩喜號は営業を続けた。「もし地元のお客さんが食事をしに来て店が閉まっていたら、どうする? 店の信用に関わることだぞ」。陳輿安氏は父親がそう話していたと振り返る。

陳氏は「父は、たとえ利益が上がらなくても、店を開け続けることこそ、『私たちはしっかりと対策をしています、安心してください』というメッセージを世の中へ発信することになると考えていた」と言う。また父の行動は、「稼ぎたければ働く。何もしなければ損失を計上し続けるだけ」という商売の基本に立ち戻ったものでもあった。

兩喜號は営業続行を決めたものの、SARSが収益に与えた影響は小さくなかった。2つあった店舗のうち、封鎖された仁済病院に近い本店を臨時休業して、少し離れた支店の営業に集中することにしたのだ。従業員はすべて支店勤務に変更し、シフトを調整することで人件費の削減にも成功した。客足が減っても、営業を続けているうちに危機を乗り越え、老舗としてのさらなる歴史と味を未来につないでいったのである。

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