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小田急線の起源は「まぼろしの丸ノ内線」だった 転機迎えた地下鉄の意外な過去とその歴史

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しかし、一度失効した免許を国が簡単に認めるはずもなく、すぐに却下されたとみられる。こうなることは小田急自身もわかっていたと思うが、将来的には新宿―大塚間の建設に再チャレンジする意志があることを示すため、あえて申請したのだろうか。

小田急線を走る通勤電車。もし「小田急丸ノ内線」が開業していれば、赤い電車ではなく青い帯の電車が丸ノ内線を走っていたのだろうか(筆者撮影)

こうして「小田急丸ノ内線」は幻に終わり、戦時中の1942年には小田急自体が東京急行電鉄(現在の東急)に吸収され、一時消滅した。そして終戦後の1948年に小田急電鉄として分離独立するが、このころ東京都心への乗り入れを目指し、新宿方面から東京駅に延びる路線を再び申請した。

このときも営団地下鉄や東京都との対立があり、国が調整することに。その結果、小田急は営団地下鉄が建設する千代田線に乗り入れることになり、1978年から小田急線と千代田線の相互直通運転が始まった。自力での地下鉄建設は幻に終わったが、それに近い形で都心への乗り入れを果たしたのは確かだ。

「小田急丸ノ内線」なら青だった?

ちなみに、丸ノ内線の開業時に導入された電車は車体が赤く、窓の下には白い帯。さらにステンレス製の正弦波曲線(サインカーブ)を白帯の上に貼り付け、これが丸ノ内線のイメージを形作った。このデザインの電車は1996年までにすべて引退して銀色アルミ車体の電車に入れ替わったが、新型の2000系は再び赤い車体を採用。ホームドアの位置を考慮して窓下から窓上に変わったものの、白とサインカーブの帯も復活した。

もし丸ノ内線が小田急の手により開業し、いまも小田急が運営していたなら、いまごろは青い帯を巻いた電車が丸ノ内線を走っていただろうか。現在の丸ノ内線とはまったく違うイメージになっていただろう。

【2019年11月6日7時45分追記】初出時、丸ノ内線車両の記述に誤りがありましたので、上記のように修正しました。

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