小田急線の起源は「まぼろしの丸ノ内線」だった 転機迎えた地下鉄の意外な過去とその歴史

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東京高速鉄道が免許を受けたルートを地図に描いてみると、現在の東京メトロ丸ノ内線と似ているのがわかる。当初の申請より大幅に縮小されたが、小田急は少なくとも丸ノ内線に相当する地下鉄の運営会社になっていたはずだ。

東京高速鉄道(青、小田急新宿駅の位置が現在地に確定後のルート)は現在の丸ノ内線(赤)とほぼ同じルートで免許を受けた(地図ソフト「カシミール3D 地理院地図」で筆者作成)

しかし、この計画はすぐに行き詰まる。『小田急75年史』(小田急電鉄編、2003年3月)によると「工事方法などをめぐって内務省の反対を受けたのに加え、第一次世界大戦後の不況の影響もあって資金調達が難航」したためという。ほかの起業家グループによる免許路線も、実際に着工できたのは東京地下鉄道だけだった。

「都心」から「郊外」へ転換

利光ら東京高速鉄道の起業家グループは、免許取得からわずか5カ月後の1920年8月24日、東京から小田原方面に延びる路線(小田原線)を申請した。新宿―大塚間を結ぶ地下鉄の「延長線」としての申請だが、実質的には新宿―大塚間の建設を諦め、郊外路線となる小田原線の建設に方針転換したといえる。これが東京高速鉄道にとって、大きな転機となった。

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1923年3月、東京高速鉄道の名称が小田原急行鉄道に改められ、同年5月1日に創立総会を開催。5月29日には小田原線の免許を受けた。関東大震災の影響で工事は遅れたものの、昭和に入ってすぐの1927年4月1日、新宿―小田原間が全線一括で開業した。

その一方、新宿―大塚間の免許は1924年8月29日に失効した。ただ、小田急は新宿―大塚間の地下鉄をすぐに諦めたわけではなかったようだ。国立公文書館の所蔵文書を確認したところ、失効からわずか12日後の9月10日には、新宿―大塚間の建設を再び申請している。

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