DeNAの筒香が日本球界に訴えた強烈な危機感 アスリートとしての思いと揺るがぬ信念

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少しぽっちゃりした目立たない少年だった筒香は、しだいに野球選手として頭角を現していく。父に次いで筒香に手ほどきをしたのは、10歳上の兄だった。自らは選手としての将来をあきらめ、弟に未来を託した。

そしてそこから、堺ビッグボーイズとの出会いが始まり、野球選手・筒香の未来が開けていくのだ。

筒香は松坂大輔に憧れ、関西の出身にもかかわらず、横浜高校に進み、甲子園で活躍する。しかし、高校時代の筒香の目標は、すでに甲子園ではなく、プロ野球だった。

横浜ベイスターズにドラフト1位で入団してから筒香は何度も挫折を味わいながらも、主軸打者へと成長していく。

筒香自身は、選手に罵声を浴びせるような野球も、勝利至上主義の野球も経験してきた。実は、筒香が在籍していたころの堺ビッグボーイズも「勝利至上主義」だった。

もちろん、ほかの少年野球よりもはるかに進んだチームではあったが、野球を楽しむことなく勝利を追い求め、全国大会で実績を上げていた。また横浜高校も全国に名だたる強豪校であり、甲子園で勝つことを至上の目標にしていた。

そうした境遇で競争に勝ち、実績を残してきた筒香だが、つねに心の中に違和感を抱いていたのだ。

筒香を変えたドミニカでの強烈体験

そんな筒香のわだかまりを解いたのは、ドミニカ共和国での強烈な野球体験だった。

ドミニカ共和国などカリブ諸国では、地元出身のMLB選手などが12月からリーグ戦を繰り広げる。教育や練習ではなく、興行的価値の高いプロ野球リーグだ。2015年、筒香はドミニカ共和国のウィンターリーグに参加し、メジャーの実力を肌身で知る。

そしてドミニカ共和国の野球指導の現場も視察し、現地の少年野球が、子どもを見守り、自主性を尊重していることを知る。大人たちは、子どもの才能が未来に大きく開花するように指導していたのだ。

この出会いの翌年に筒香は本塁打、打点の二冠王になった。そして同時に「日本の野球をどうにかしなければいけない」という認識を持つに至るのだ。

筒香をドミニカ共和国に案内したのは堺ビッグボーイズ代表の瀬野竜之介と、当時、JICA職員でのちに堺ビッグボーイズのコーチになる阪長友仁だった。堺ビッグボーイズもこの時期に「勝利至上主義」を排し、少年野球としては前例がない改革に乗り出していた。

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