「小さい政治」を捨て去れ、価値の創造こそ政治の役割--田中直毅

政治の役割を矮小化 価値創造に関与せず

世界に広がったこうした日本経済の見方は、日本政治の姿と重なっています。

戦後の世界経済が極めて特徴的であったように、これまでの日本政治は非常に特定の時期に鋳込まれた、特定の仕様のものです。西側陣営に属した日本にとって、IMF・GATT体制は与件(すでに与えられたもの)としてあり、エネルギーや原材料に乏しい以上、働き手の質と量に物を言わせて、国際貿易を通じて生活水準を引き上げるしかない。それが日本の戦後経済でした。

同じように政治では、軍事による国際社会への関与を自己否定し、日米安保の枠組みの内側で安全保障を構築する。海外に対して軍事的な関与をしないことがアジアの平和と安定に寄与するとさえ信じてきた。これは国際的に見れば、特定期の極めて特殊な形態です。

政治の役割、政治が決めることの領域の広さを「大きい・小さい」という言葉で表すならば、いわば「小さい政治」を選んだということです。

安全保障のあり方を内側から問わず、国際経済秩序の枠組みについても受益者として行動する。国際社会に働きかけをして、何かを形成することが期待されているわけではない。そもそもその必要がない、という立場でやってきた。したがって政治家にも当然、そうした能力は必要とされませんでした。政治を小さなものとして規定したのです。

戦後の日本政治の大きな課題の一つは、地方の経済状況に目を配ることでした。戦前の農村の疲弊が軍国主義の土壌になってしまったという教訓から、地方をどう救済するかに力点がありました。終戦直後の言い方なら、所得再分配を通じて軍国主義化を防ぐ、現代流に言えば富の再分配を通じて社会の安定化を図るということです。そこでは付加価値を創造することはまったく問われなかった。付加価値創造は経済主体のみがかかわること、ビジネスのこととされたのです。

ところが、冷戦が終わりグローバル競争になると極めて重要なテーマとなったのが、付加価値創造、つまり差別化を通じて付加価値を高めることです。しかし、冷戦崩壊から20年近くが経過しても、日本政治はいまだに無関心です。

新しいグローバル競争が始まり、国民がdecentな生活--きちんとした、身ぎれいな生活--をするためには、付加価値創造に工夫を集中せねばいけないのに、政治活動は生まれた価値の再分配をしてさえいればよいことにしてきた。これは求められている政治本来の機能からすれば、「脇」のことです。

つまり日本政治は、「小さいうえに脇のこと」ばかりに関心を寄せてきたということです。経済余剰の再配分だけに関心があったと総括せざるをえない。1955年体制の2大政党制も、「小と脇」にふさわしいシステムだったと言えるでしょう。もっぱら関心は再配分による社会秩序の安定化だけでした。

89年のベルリンの壁崩壊、91年のソ連邦の解体から20年弱が経とうとしていますが、いまだに日本政治は冷戦構造から脱却できず、慣性の法則のままです。

90年に湾岸戦争が起き、国際貢献が議論になったことがありましたが、それはあくまでも例外的なことという位置づけだった。このときは今となっては信じられないことですが、法人税に臨時課税をして、国際的な冥加金を拠出しました。

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