与田祐希が「次世代エース」と呼ばれるワケ 乃木坂46の未来を拓く「島っ子」の素顔とは?

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テニス部の友人を通してアイドルに興味を持つようになった(撮影:梅谷秀司)

最初の転機は、地元の中学に進学してテニス部に入ったこと。テニス部の友人を通してアイドルに興味を持つようになった。

「テニス部はアイドルが好きな子が多くて、なかでもAKB48さんと地元のHKT48さん、乃木坂46がはやっていました。それで、テニス部のみんなで振り付けをコピーして、歌ったり踊ったりして遊んでいました」

こうしてアイドルを意識するようになった与田は、しだいにテレビの向こう側にあこがれを抱くようになった。同時に、「美容師になりたい」「パティシエになりたい」という希望を持って進路を決める周りの友人たちと比べて夢や目標がない自分に、焦りを感じていた。

そんな時に、福岡で乃木坂46の3期生オーディションが開催されると知り、「1回、挑戦してみようかな」と応募したのだ。高校1年生、16歳の夏だった。

2016年7月に募集が始まり、8月末に最終審査が行われた3期生オーディションは、過去最多となる4万8986人の応募を集めた。

「まさか受かるとは思っていなかった」

1次審査から最終審査まで、わずか2カ月弱。当初、「まさか受かるとは思っていなかった」という与田、「いい経験になるんじゃない」と余裕を見せていた両親も、とんとん拍子で審査が進むにつれて焦りはじめ、一度、「受かったらどうしよう?」と話し合ったそうだ。この時の結論が、時間がゆったりと流れる島で暮らしてきた家族らしくてほほ笑ましい。与田と両親が出した答えは「受かってから考えればいいか」だった。

とんとん拍子で審査が進むにつれて、はじめて感じた焦り(撮影:梅谷秀司)

しかし、実際には最終審査として2016年8月末にライブ動画ストリーミングプラットフォーム「SHOWROOM(ショールーム)」での配信が行われてからプロデューサーの秋元康氏らによる面接があり、見事合格。9月4日には3期生の合格者発表会見が行われ、まさに怒涛の勢いでデビューが決まったのであった。

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