旅こそが「ソロタイム」の最良の過ごし方だ なぜ旅人は「賢者」のような眼をしているのか
物を持たない野生動物が、人間のような鬱屈した心を持たないのと同じように、人も、ものを持たず、移動し続けていた頃の人間は、心を軽く、新鮮に保つことができていたのではないか。私はそう、夢想することがあります。
狩猟採集生活で常に「ソロタイム」を過ごしていた
農耕を行い、定住するようになるまでの数百万年という長いあいだ、人類は狩猟採集生活を送ってきました。それはいわば「旅をし続ける生活」であり、彼らは常に「ソロタイム」を過ごしていたと言えるかもしれません。
農耕を覚え、一箇所に定住するようになった人類は、旅の代わりに、「掃除」と「片付け」をするようになりました。
ずっと移動し続けていた狩猟採集民の所有物は「持ったまま移動できるもの」だけであり、そこには「掃除」も「片付け」も存在しませんでした。
定住し、所有するものが多くなればなるほど、私たちは多くのモノから影響を受け、それによって、アイデンティティを強化するようになった。その結果、私たちは、「変わること」あるいは「生まれ変わる」ことが、苦手になったのだと思います。
持ち物を手放し、身一つで旅に出る。そうやって自分のアイデンティティの一部から手を離すことによって、「群れ」に制約され、神経症気味になった私たちの心を、リフレッシュすることができるのです。
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