「親を殺したい」虐待された子どもたちの叫び 「クソ」「死ね」と当たり前に言う親たち
「中学生になったころから母親を殺そうとずっと思っていました」
そう話すのは、会社員の渡辺美佳さん(仮名・27)。母親は結婚しないままに美佳さんを出産し、飲食業を営む祖母と3人で暮らしてきた。
「小さいときから母の束縛がひどかったんです。何もかも母の決めたとおりでないと殴る蹴る。しかも顔や手足など見えるところには痕を残さない。高校を決めるときも母が勝手に自分の卒業した高校を受験する手はずを整えていた。
でも、私は内緒で行きたい高校を受験しました。そこに受かってからも“おまえはバカ、あんな学校に行って”と嫌みを言われ続けました」
3年前の大ゲンカで発した言葉
自分の人生が母に支配されていると痛感したそのとき、美佳さんの心にたまった殺意があふれ出た。深夜、台所で包丁を握りしめる。今なら母は熟睡しているから刺せる。
だが、そこでふっと祖母を思った。母を刺殺したら、祖母は孫に娘を殺されたことになる。祖母を苦しめたくなかった。いっそ自分が死のうかとも思ったが、祖母が悲しむ。彼女はまな板に包丁を思い切り突き刺し、そのままにしておいたという。
「そのころ、高校で担任が顧問をやっている部活に無理やり入れられたんです。高校と地域の店がコラボして商品を作る部活で、最初は興味を持てませんでした。
でも、地域の人たちと話し合って商品を開発して、イベントに出店したときはうれしかった。先生は私に会計係を命じてくれました。責任を感じて、それからは部活に夢中になりましたね」(渡辺さん)
それと同時に、母親の過干渉もそれほど気にならなくなった。それでも数年前まではたびたび衝突。殺意を抱くこともあった。極めつきは3年ほど前の大ゲンカ。
「あんたなんか産まなきゃよかった」と言った母親に、「よく知らない男に股を開いた女に言われたくない」と言い返した。母親は黙り込み、以来、あまり干渉しなくなったという。娘が母親を乗り越えた、と母も実感したのかもしれない。
「成長する過程で、親から離れて精神的に自立するプロセスとして親の死を願うことはありますが、実際に手をかけることとはまったく違う」
そう言うのは、大妻女子大学人間関係学部教授で心理学者の福島哲夫さん。程度の差こそあれ、虐待されて育った子どもは親の気持ちばかり忖度し、いい子として頑張ってしまうケースが多いそうだ。