報じられない「無頼系独立候補」たちの選挙戦 悪戦苦闘の中に見えてくる選挙制度の問題点
選挙があると思い出す光景がある。ずいぶん前のことだが、番組でお付き合いのあった関係で、ドクター・中松の街頭演説を見に行った。場所は下北沢駅の北口だった。
ジャンピングシューズをはいたドクターが登場するとたちまち人だかりが出来たが、聴衆はビヨ~ンビヨ~ンと跳ねるドクターの動きにつられて顔を上下させるばかりで、せっかくの演説を誰も聴いていないんじゃないかと思った。けれども皆とても楽しそうだった。子どもたちははしゃぎながら一緒に跳ねているし、気がつけばちょっとした祝祭空間のようなものが駅前に出現していた。
キワモノ扱いされる泡沫候補から見えてくる社会
選挙には独特の魔力があるという。そこは人間の本性が露わになる場所だ。必死でお願いする候補者に対して、信じていた人が見向きもしてくれなかったり、かと思えば見ず知らずの人が手を差し伸べてくれたりもする。
選挙は祭りであり、候補者にとっては人生の喜びや理不尽さを知る場でもある。だからこそ選挙は、いちど出たらやめられないのだろう。
『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』は、選挙では毎度お馴染みのいわゆる「泡沫候補」たちの戦いを20年間にわたり追い続けたノンフィクションだ。
これがむちゃくちゃ面白い。今年読んだノンフィクションの中でも出色の面白さだ。世間からキワモノ扱いされる泡沫候補を通して見るだけで、まさかこれほどまでにこの国の選挙制度が抱える問題点がクリアに見えてくるとは思わなかった。著者の慧眼と20年にも及ぶ取材を続けた執念に敬意を払いたい。心から広く読まれて欲しいと願う1冊である。
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