宮里藍は、日本の女子ゴルフをどう変えたか プレーヤーの枠を超えて残した巨大な功績
「去年の夏ごろに、今年いっぱいで現役の選手を引退する決意をしました」
初の高校生プロ、そして日本人初の世界ランキング1位――。2000年代前半から日本ゴルフ界を牽引し続けた宮里藍選手の引退表明会見が、5月29日、都内のホテルで開かれた。彼女の引退で、一つの時代が終わる。そう言っても過言ではないだろう。ホテルの会場に詰めかけた記者やカメラマンなどの報道陣は、300人を超えていた。
「モチベーションの維持が難しくなったのが一番の決め手」。45分にわたる会見で、宮里は突然にも感じられた引退の理由をそう説明した。実際には、2012年後半から「こんなに調子が良いのにメジャーで勝てなかったら、次はどうしたらいいんだろう」と、モチベーションの持ちように悩んでいたことも明かした。
14年前に史上初の高校生プロ「藍ちゃん」が誕生
今からおよそ14年前の2003年9月、宮里は高校3年生のアマチュアとして、プロ選手が参加する「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で優勝。その年の10月にはプロ宣言し、史上初の高校生プロゴルファーとなり「藍ちゃん」フィーバーは始まった。人気を加速させたのが、翌2004年に行われた女子プロの開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」でプロ初優勝を飾ったことだった。18歳262日での優勝はいまだに破られないプロ最年少優勝の記録だ。宮里の出身地、沖縄での優勝だったことも、快挙に花を添えた。
その年のツアーで早くも5勝し、10代の選手で初めて年間獲得賞金1億円を突破した。2006年からは米国を主戦場にし、2010年には年間5勝を挙げて世界ランキング1位に。まさにスーパースターである。通算では日本15勝、米国9勝の日米通算24勝をあげ、2005年の南アフリカで開催された、ワールドカップ女子ゴルフでは北田瑠衣選手と組んで優勝をしている。
「藍ちゃん」の登場は、日本のゴルフシーンを変えた。際立った若さでの活躍に加えて、明るく前向きなキャラクター、愛らしいルックスから飛び出すしっかりとした「自分の言葉」、そして呼びやすく親しみがわく名前……。
筆者は当時、ゴルフ用具メーカーのブリヂストンスポーツでマーケティングを担当し、宮里のプロ入り直後からかかわっていた。プロに求められる多くの要素をこれほど兼ね備えた選手が出てくるものなのかと、過去にない衝撃を受けたのを鮮明に覚えている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら