「東芝府中事業所」の存亡に揺れる住民の胸中 存続か?再開発か?企業城下町の栄枯盛衰

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縮小
広大な府中事業所内では自転車で移動する従業員もいる(筆者撮影)

時代も違う。日本製鋼所東京製作所が閉鎖された時代は、日本がバブルに差しかかる時期。だからインテリジェントパークが成功した。

日本の生産年齢人口がピークを迎えた1996年には、府中駅前再開発地区に伊勢丹府中店がオープンし、「府中市に伊勢丹が来た!」と府中市民を感激させたが、もう郊外百貨店の存立できる時代ではなくなった。

府中市の本音は駅前商業施設に人を集めたい

府中市の隣、多摩市にある三越多摩センター店は、3月に閉店した。伊勢丹府中店もいずれ大幅な縮小が不可避だろう。時間と苦労を重ねて完成させた府中駅前商業施設に人を集めたい府中市としての本音は、府中駅から離れた地区の新たな大規模商業施設はノーサンキュー、ということだ。

かなり以前のことになるが、筆者が東芝府中事業所を見学させてもらった際の印象は、「無駄に広いな」というものだった。老朽化した工場建屋の階数を上げるなどの再編をすれば、事業所の3割程度の敷地は、生産能力を落とさずに売却や再開発が可能と考えられる。その規模なら、住宅やオフィス、商業施設に名乗りを挙げるデベロッパーも現れるかもしれない。

府中市に、東芝府中事業所が固定資産税や法人住民税でどれくらい貢献してきたか問い合わせたが、「開示できない」との答えだった。ただ記憶をたどると、野口忠直・前府中市長(2017年死去)が以前、内輪の席で漏らした言葉が脳裏に浮かぶ。

「府中市の豊かな財政を支えてきたのは平和島競艇の開催権。この利益がほとんど出なくなっても、日銀のコンピュータセンターが年間10億円の税収をもたらした」

東芝府中事業所は日銀府中分館よりケタ違いに広い。市の財政に長年寄与してきたのは疑いない。

内田 通夫 フリージャーナリスト

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うちだ みちお / Michio Uchida

早稲田大学商学部卒。東洋経済新報社入社。『週刊東洋経済』の記者、編集者を歴任。

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