総実労働時間を一般労働者とパートタイム労働者を分けて分析してみよう。厚生労働省の「毎月勤労統計調査」によると、1993年の段階で2045時間だった一般労働者の総実労働時間は、ほぼ横ばいで推移している。1996年に2050時間と最高値を示したものの、2015年には2026時間と高止まりしている。
一方、パートタイム労働者の総実労働時間は1993年に1184時間だったのだが、その後は減少し、2015年には1068時間となっている。パートタイム労働者比率が徐々に増えているので、国としての総労働時間が減ったとしても、それはパートタイム労働者の増加によるものであり、一般労働者の労働時間は横ばいであるということが明らかになる。
このようなデータから見ても、正社員の労働時間は改善されていないことが明らかだ。
「残業手当」の存在も長時間労働問題を複雑に
「残業手当」の存在も長時間労働問題を複雑にしている。そもそも残業とは経営者側にとってメリットがある。労働者を一人前に育てるためには時間もコストもかかる。これらは固定費とみなされる。労働者を増やすよりも、労働時間を延ばして残業で対応したほうが、費用が安く済む可能性があるからだ。
労働者にとっても、割増手当を受けることができる。いわゆる残業に当たる「時間外労働」に企業は通常よりも高い賃金を支払わなければならない。日本における割増手当は2割5分以上であり、休日出勤が3割5分以上、さらに2008年からは労働基準法の改正により60時間以上の残業に関しては5割以上(中小企業に対しては移行措置あり)となった。
法定労働時間を超えて労働させた場合に、過料が科せられるドイツや、違警罪としての罰金が適用されるフランスなどとは考え方が違う。これはシステムの違いだ。好況期には残業で対応し、不況期には残業と賞与を抑制して乗り切る国と、その分の人員を削減することで乗り切る国のモデルの違いである。日本における残業は企業にとって手当を払ってでもメリットがあり、労働者としては残業手当が生活費化している者もいるものなのである。
残業手当は「残業させてしまった企業に対するペナルティ」という意味では、中途半端な金額である。労働者の視点で言うならば、残業した方がお金がもらえてしまう。残業の抑制につながるかどうかは疑問である。
そのほかにもサービス残業、仕事の任せ方など、日本特有の残業を引き起こす構造は複雑怪奇である。「働き方改革」なる取り組みがこの「魔物」とどこまで真剣に向き合えるのか。私は職場で人が死ぬ、殺される社会には断固として反対である。しかし、残業の本質を理解せず、改革を装った偽善的な取り組みがなされれば、それこそが労働者を苦しめるものとなりかねない。
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