とはいえ、動物的にただ交わるのでは品がないと、その前に結婚式をすることになりました。結婚式といっても、シンプルなものです。神聖な柱の前に2人で背を合わせて立ち、柱の周りをイザナギは左から、イザナミは右から周り、出会ったところで告白をしようと決めました。しかし、いざとなると、イザナギは緊張からなのか、照れなのか言葉が出ません。じれたイザナミは、代わりに先に声を発してしまいます。
「あなにやし、えをとこを(まあ、なんていい男だこと)」
そう言われて、イザナギも返します。
「あなにやし、えをとめを(おお、なんていい女なんだ)」
これが日本最初のプロポーズの言葉で、告白をしたのは女性の方なんです。晴れて結婚した2人は、無事合体しました。ところが、そうして生まれた子どもはヒルのような子どもでした。再度挑戦するも今度は泡のような子どもが生まれてしまいます。要するに、未熟児だったわけです。
どうしてちゃんとした子どもが生まれないのか?困り果てたイザナギとイザナミは、天界の神様に相談しに行きます。その時の神様の助言を現代風に言うとこうなります。
「もしかして、ナミちゃんのほうから告白したんじゃね?それじゃダメだよ。告白は男のナギくんからちゃんと言わなきゃ」
そうして、二人は再度イザナギの方から声をかける告白シーンを律儀にやり直しました。すると今度は、無事にちゃんとした子どもが生まれます。それが最初の国土である今の淡路島ということなんだとか。
つまり『古事記』の段階から、「日本男児は自分から告白ができなかった」のです。実は、これはわざわざ「告白は男がすべき」と『古事記』に明記しなければいけないくらい、古代より女性の方が積極的だったという証拠かもしれません。だからこそ、「女から告白するとよいことにならない」という警告の形にもなっているのでしょう。
男から告白したから、結婚につながるわけではない
ただ、男から告白すべきという意識を持つことが、必ずしもその後に実を結ぶとは限らないようです。私も2016年に「男が告白すべき」という意識について調査をしたのですが、それによると「付き合う前に男から告白すべきだ」という問いに対して、結婚しない男である「ソロ男」に分類される20~30代男性は、なんと67%が「そう思う」と回答しています。一方、既婚の20~30代男性は、わずか39%にすぎません。つまり、「告白なんかどうでもいい」と考えている男たちの方が、20代から結婚しているわけです。
これは、ソロ男の方が既婚男性と比べて、常識や規範というものに縛られる傾向が強いからです。意外に思われるかもしれませんが、白黒付けたがるソロ男の方が、生き方としては窮屈なのです。だからこそ、ソロ男は「男が告白すべき」という見えざるプレッシャーに支配されすぎて、結果「面倒くさい」→「告白しない」→「結婚しない」という道筋を進んでしまうということかもしれません。もしくは、「男からすべき」論に固執しすぎて、女性からの告白を受容できないのかも知れません。だとすると、やはりソロ男は相当に面倒くさい男たちです。
いずれにせよ、「告白は男がすべき」というルールは、国際的にも歴史的にも、どこか無理があり、自然ではないということです。
告白などという形にとらわれず、また、女性たちもそれを「男の当然の義務」として押し付けないでいた方が、結果として結婚できているのではないでしょうか。
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