なぜ公害・薬害を繰り返す、医学界の暗部を告発する
土呂久での苦い経験を経て、津田は臨床医療に従事するより、環境問題や職業病の因果究明を通して被害者を救済することのほうに関心が移った。そのために一にも二にも必要だったのは疫学である。津田は「大学受験でも医師国家試験の受験でも経験したことのない猛勉強」に入った。70年代以降、急速に欧米で発展した疫学は日本ではあまり紹介されておらず、手当たり次第読んだのは英語の教科書や論文だった。
疫学に精通してくると、びっくりするような事実に気づく。大阪の大気汚染訴訟や水俣病裁判を調べてみると、公害の人体への影響が問題なのに、原因者側についた医学者が動物実験の結果が必要だと主張したり、そもそも疫学的な方法論がまったく無視されたりしていたのだ。
特に驚いたのが水俣病患者の認定をめぐる裁判だ。「水俣病専門家」を名乗る医学者が、疫学データを無視して水俣病かどうかの判定を下していた。彼らの多くは神経内科の専門家で、そもそも疫学を知らない学者も少なくなかった。
その結果起きたのは、大量の未認定患者の発生である。疫学的に9割以上の確率で、有機水銀(水俣病の病因物質)の摂取が原因で四肢末端の感覚障害など水俣病症状が現れたと考えられる人でも認定されないというありさま。通常の公害や職業病事例では原因確率5割以上で因果関係が認定されるのが一般的だから、水俣病の認定制度の異常さがわかるだろう。
こうした状況は現在に至るまで続き、認定申請者など約3万人に対し、認定患者数は2300人程度しかいない。水俣病が、90年代の政治的解決やその後の最高裁での原告勝訴があっても、救済と補償問題はいまだ解決されていないのは、このためである。
津田が水俣病の経緯を調べてみると、官僚と学者の異常な関係がゾロゾロと出てきた。政府に協力的な主張や研究を行う医学者や法学者に国が巨額の研究費を与えていたり、政府側の医学専門家が破格の昇進をしていたり--。一方で水俣の住民や患者を現地調査し、その結果から水俣病の認定はおかしいと主張する医学者たちには一銭も研究費は与えられず、主張も一切無視された。