マルクスは搾取の本質を取り違え、限定的な現象の一部しか見ていなかった。
ケインズは鋭く需要と供給のギャップ、実体経済と金融市場のギャップを指摘したが、大恐慌の処方箋としての理論として失業に焦点を当てすぎ、20世紀後半以降の経済は射程外となり、時代遅れになってしまった。
シュンペーターの景気循環による資本主義の発展という大局的な把握は素晴らしかったが、後続の経済学者(と経営学者)たちは、これをミクロのイノベーションという矮小な概念に貶めてしまった。
同時に、シュンペーターの資本主義発展論は、資本主義の後半から終盤の局面では不適合であり、経済の大部分が必需品から嗜好品によって支配されるようになった(堕落した)資本主義社会においては射程外になってしまった。
「搾取」されたのは労働者ではなく消費者
もう少し説明すると、マルクスは、政治的主張に目がくらんで、理論における矛盾を解決せず放置した。
資本家と労働者の階級闘争により労働者が資本家に搾取されているとしたが、それは本質ではなかったために、その主張を理論づけることができなかったのであり、その結果、理論体系を閉じる(完成する)ことはできなかった。
マルクスの言う等価交換が成立しない局面というのは、労働価値と労働賃金の間にあったのではなく、消費者にとっての価値と生産者にとっての価格に差があったために、消費者が搾取されたのであり、消費者と生産者の間で等価交換が行われなかったのである。
しかし、これは古典派経済学すべてに通じる誤りでもあった。
なぜなら、アダム・スミス以降の古典派は、ほぼ生産側のことしか考えず、消費者の存在を無視していたからである。もちろん需要は重要であったが、それは需要というマクロ的現象であって、ミクロとしての消費者はいなかった。
これが、新古典派の限界革命によって登場するわけだが、限界生産性という、やはり供給サイドの議論が中心となる。消費者の効用理論を中心に置いたメンガーの理論は正統派から脱落する。
この誤りを違う角度から鋭く指摘したのは、大恐慌後のケインズであり、有効需要の原理である。





















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