JRの代表的存在、番号「1」が付く列車の特徴は何か 国鉄時代の1948年から現代まで時刻表を徹底調査
続いて77年前、1948年3月号を見ると次のようになっていた。
・東京7時40分発 博多行(列車名なし)
・野邊地(現・野辺地)8時16分発 大湊行
・鯵ヶ澤(現・鯵ヶ沢)5時10分発 弘前行
・秋田7時22分発 船川(現・男鹿)行
・大曲6時24分発 生保内行(生保内線、田沢湖線の前身)
・羽後本荘8時16分発 羽後矢島行(矢島線 現・由利高原鉄道)
・黑澤尻(現・北上)5時00分発 横手行
・花巻5時00分発 柏木平行(釜石西線、釜石線の前身)
・氣仙沼(現在・気仙沼)6時00分発 盛行
・仙臺(現・仙台)5時55分発 鹽竈(塩釜)行(鹽竈線 現在は廃止)
・山形7時25分発 左澤(現・左沢)行
・赤湯6時37分発 荒砥行(長井線 現・山形鉄道)
・新發田(現・新発田)5時18分発 東赤谷行(赤谷線 現在は廃止)
・小出6時30分発 大白川行
・彌彦(現・弥彦)6時00分発 越後長澤行(現在は東三条ー越後長澤間は廃止)
・糸魚川6時00分発 小瀧(現・小滝)行
・下館6時10分発 茂木行
・小川町6時16分発 高崎行
・久留里5時30分発 上総亀山行
・七尾7時36分発 輪島行(旧七尾線 現在は和倉温泉ー穴水間がのと鉄道、穴水ー輪島は廃止)
・金津6時32分発 三國港行(三國線 現在は廃止)
・松本5時10分発 信濃大町行
・大井(現・恵那)8時20分発 明知行(明知線 現・明知鉄道)
・美濃太田5時57分発 北濃行(越美南線 現・長良川鉄道)
・相可口(現・多気)5時53分発 尾鷲行
・米子6時00分発 境港行
・青森0時10分発 函館行(青函航路 現在は廃止)
・宮島口6時13分発 宮島行(関門航路 現・JR西日本宮島フェリー)
・下関5時20分発 門司港行(関門航路 現在は廃止)
当時は電車にM、ディーゼルカーにDの記号をつけることがなかったため、この26本の列車が「1」列車として運行されていた。
東京から西へ向かう特急列車は走っておらず、2往復運転されていた急行が最速列車となっていたことから東京を朝出発する博多行の急行に「1」をつけたのだろう。
また、東京方面からの列車が乗り入れないローカル線では多数の「1」列車が走っており、鉄道連絡船にも「1」便が3便設定されていた。
1953年の状況は?
その後、全国の鉄道網が徐々に復活、1953年になると「1」列車の状況は大きく変わる。
・東京9時00分発 つばめ号大阪行
・函館10時00分発 大雪号旭川行(小樽経由)
・山形5時32分発 左沢行
・宇都宮5時13分発 烏山行
・松本4時56分発 信濃大町行
・中込5時00分発 小諸行
・富山5時50分発 岩瀨浜(現・岩瀬浜)行
・米子5時46分発 境港行
青森0時30分発 函館行(乗船締切0時20分、出航5時00分)
宮島口 6時23分発 宮島行
下関5時10分発 門司港行
東海道線の特急つばめ号、北海道の急行大雪号が「1」列車となった。また、多数あった普通列車の「1」列車は6本に縮小された。この6本はすべてディーゼルカー、もしくは電車と、機関車に牽引されない列車。旧態依然とした列車でないことから普通列車にもかかわらず「1」の番号がつけられたのだろう。



















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