JR仙石線「マンガッタンライナー」撮り続けた人生 震災乗り越えた車両引退、思い出を次代につなぐ
10歳を過ぎた頃、親と仙台に行ったとき、駅のホームにたまたま停車していたマンガッタンライナーを見たのが最初の出会いだ。「カラフルで、見るからに楽しそうな列車でしたね」。そのときは車両と地域の関わりを結びつけて考えるところまではいかなかったが、この年齢では仕方がないだろう。
震災時、高校2年だった武川は被災した仙石線の姿をメディアの報道を通じて目の当たりにし、言葉を失った。その後、石巻の市民たちが「仙石線が動かないなら、動いている石巻線でマンガッタンライナーを復活させたい」と奮闘している様子を知り、「石巻になくてはならない存在なんだ」と感じた。
後ろ髪を引かれつつも、高校卒業後は上京して大学で本格的に写真を学び、東京で写真家としての活動を始めた。この間、マンガッタンライナーの存在は武川の頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。
地元でわかった「マンガッタンライナー」への思い
5年前に仕事の拠点を石巻に移した。武川の自宅は仙石線沿いにある。マンガッタンライナーを見かけたり乗ったりする機会が増え、日常の乗り物となった。
とはいえ、1日に数往復する程度なので、ドクターイエローほどではないにせよ、「出会ったらラッキー」な列車である。遠くから近づいてくる列車がマンガッタンライナーだとわかると、なぜかテンションが上がる。マンガッタンライナーが自分たちの地域で走っていることを誇らしく感じた。
武川は地域の人たちのマンガッタンライナーに対する思いを理解した。「ああ、こういうことなんだなあ」。震災のときの石巻の市民たちが、なぜマンガッタンライナーを復活させようとしていたか、その気持ちがわかった気がした。



















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