チェコスロヴァキアでは、ヨゼフ・ルクル・フロマートカに代表されるプロテスタント神学者らと、マルクス主義哲学者らが、「人間とは何か」というテーマについて真剣な対話を繰り返した。
その結果、「人間の顔をした社会主義」を建設するためにキリスト教徒とマルクス主義者は協力が可能という結論になった。
「人間とは何か」それぞれの主張
フロマートカや、ミラン・オポチェンスキーらのプロテスタント神学者は、人間の自由と尊厳を尊重し、人が人を搾取するような資本主義社会を克服していくことは神の意志に適(かな)うと考えた。街に路上生活者があふれかえる一方で、金持ちは通りに面した高級レストランで飽食の限りを尽くす。そんな社会はキリスト教的でないと考えた。
現代神学の父と呼ばれるスイスのプロテスタント神学者、カール・バルトは、近代人は傲慢になってしまい、人間の力だけで人生や社会の問題を解決できると考えるようになった。その結果、もたらされたのが第1次世界大戦という大量殺戮(さつりく)と大量破壊だった。この危機から逃れるために、キリスト教徒は、神の前で真剣に自己批判しなくてはならない、と考えた。
これに対してフロマートカは、キリスト教徒が神の前で自己批判するだけでは不十分と主張した。キリスト教徒は、神に対してのみならずキリスト教を信じていない人々の前でも自己批判しなくてはならないと考えた。
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