【朝ドラ】「子どもの本はいやだなあ」やなせたかしが子ども向けの仕事を嫌がったワケ
長い間、代表作がないことに悩んでいたやなせにとって、このときの決断がいかに大きかったかはのちにわかることになる。
だが、「アンパンマン」はまだ生まれない。やなせは子ども向けにも絵を描きながら、マンガのフィールドを飛び出して、活躍の幅をさらに広げていく。
やなせに舞台芸術の仕事をいきなり頼んできた相手
やなせのもとに短髪でジーパンの男が訪ねてきたのは、1960(昭和35)年のことである。突然、初対面の男性が荒木町の自宅に来たことに、やなせが当惑していると、男はこんなことを話し出した。
「今度大阪のフェスティバルホールで、ミュージカルをやります。それでその舞台装置をやなせさんにお願いしたいんです」
NHKの番組出演の話が舞い込んできたときにも呆気にとられたやなせだったが、この依頼にもずいぶん驚かされたようだ。なにしろ舞台装置に携わった経験はまったくない。だが、そのことを告げても、相手は迷うことなく、こう言い切ったという。
「大体の設定はぼくがやりますから、それじゃお願いします。スタッフ会議に出席してください」
この男こそが、世界的な大ヒット曲『上を向いて歩こう』の作詞をし、テレビやラジオの世界で大活躍する、永六輔である。
やなせが依頼されたのは、坂本九が歌う『見上げてごらん夜の星を』のミュージカル版の舞台美術だった。稽古場に足を運ぶと、そこには躍動する永六輔の姿があった。
「全身はバネのように弾力があり、ステージに飛びあがって大声で怒鳴る。喜怒哀楽の激しい性格で、瞬間湯わかし器のように激怒するが、涙をこぼして感動する熱血の天才児である。リーダーとしての資質は充分にあった」
俳優や演出、そして照明などの裏方スタッフが忙しくする現場で、やなせはといえば、すでに装置が出来上がっているため、大してやることもなかったという。
そこで、やなせは泥絵具(どろえのぐ)を使って、ひたすら装置を塗ることにした。装置は巨大だったが、三越の頃に大きな看板を描いていたため、苦はなかったようだ。
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