ヤマトはガンダムを超える? 劇場とDVDを同時展開
テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の放映開始は1974年。まだ“アニメ”という呼称は一般的でなく、“テレビマンガ”と呼ばれていた時代に、リアルなSF設定や深いドラマ性などで、ヤマトはそれまでの子ども向け番組とは一線を画する前衛的な作品に仕上がった。だが、同時間帯に人気絶頂の「アルプスの少女ハイジ」が放映されていたため低視聴率に苦しみ、26話で打ち切られた。
それでも、西崎義展プロデューサー(故人)の下に才能を持った多数のスタッフが結集し完成させた作品はファンの注目を集め、77年にテレビシリーズを再編集した劇場映画が大ヒット。ヤマトは何度もテレビや映画で続編が作られ、出版、音楽、映像、プラモデル、ゲームなど多方面にビジネス展開された。日本のアニメブームはヤマトから始まったといっても過言ではない。
しかし、シリーズ化してビジネスを発展させることはできず、83年の『完結編』以降、長らく新作は作られなかった。一方、ヤマトが開いたアニメビジネスで大成功したのが「機動戦士ガンダム」だ。版権元であるバンダイナムコホールディングスだけで、現在でも年間約400億円を稼ぐ。末端の市場規模では1000億円を超えるといわれる。
ヤマトが不幸だったのは西崎氏が代表を務めていた制作会社が97年に破産したこと。そこへ99年以降、「宇宙戦艦ヤマト」の著作者をめぐって西崎氏と「宇宙戦艦ヤマト」の制作に参加していた漫画家、松本零士氏との間で争われた裁判が追い打ちをかけた。最終的に「宇宙戦艦ヤマト」は西崎氏が著作者であり、同氏が著作者人格権を有するということで決着した。