先生を悩ませる「魔の6月」にどう対処?"人的環境のユニバーサルデザイン"の視点から 「心理的安全性」が確保された学びの場が必要
そのためには、授業や話し合いの中で出された子どもたちの答えや意見について、先生が正答だけを評価して誤答を切り捨てるのではなく、それぞれの意見に肯定的な価値づけをしていく姿勢が求められます。
①「わからない・できない」は恥ずかしいことではない、②「わからない・できない」と言ってもいい、③人と違う意見を言っても否定されない、ということを日々の授業の中で先生が示していくのです。
また、先生が穏やかに子どもたちに接することも求められるでしょう。丁寧な言葉、声の抑揚、リズム、視線、ジェスチャーなどを工夫します。端的でわかりやすい説明を心がけること、子どもたちの理解度を確認し、必要に応じて立ち止まる勇気を持つことも大切です。
時には、予期せぬ誤答や意見が出たことにより、先生の予定どおりに授業が進まないこともあるかもしれません。そんなときも無理な舵取りは行わず、1人ではたどりつけなかった結論や、皆がいてくれたからこそ見えた気づきを重視し、クラスメイトの多様な見方・考え方を味わい、共有していくのです。
また、「話し合い」だけではなく、「聴き合い」の風土を育てます。説明が上手な子だけでなく、うなずきながら聞く子、「なるほど」「たしかに」などとつぶやく子、「はっ」としてメモをとる子、そんな子どもたちを見逃さず、それぞれに肯定的な評価をかえしてあげるのです。こうしたフィードバックは、子どもたちの傾聴的な反応を強化します。
このような学びの風土が醸成されると、クラスの仲間が困っているときやうまくいかないとき、その失敗を皆で共有し、①どこまでできているのか、②どこでつまずいたのか、③どのようにつまずきを解消すればいいのか、を共に検討できる集団に成長します。
子どもたちが「人に相談するといいアイデアが浮かぶ」「みんなで調べると、自分一人で調べたときより新しい発見がある」「迷ったときに友達と話し合うと意見がまとまる」といった、共に学ぶことのよさに気づけるようになると、配慮が必要な子もそうでない子も居心地のよいクラスになっていくのです。
私たちは、人と違うことを気にし、そして間違うことを恐れてしまいます。しかし、間違えることも、できない子も許さない、そんなクラスに心理的安全性は生まれません。
一人ひとりが違うのだと認められる、間違うことが許される、そして、困っているときにはお互いに援助し、援助される。そのようなクラスを目指すことで、柔軟性のあるしなやかな「一体感」が生まれるのではないでしょうか。
先生方を悩ませる「魔の6月」ですが、見方を変えれば、クラス運営を見直すよい機会であると言えるかもしれません。
(注記のない写真:ふじよ / PIXTA)
執筆:星槎大学大学院教育実践研究科 教授 阿部利彦
東洋経済education × ICT編集部
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら