1962年の都市計画道路の整備が急に動き出した謎 かろうじて復活した自然生態系に道路建設が迫る

多彩な活動で多様な生きものを支えてきた市民団体

野川がドブ川化していた39年前に発足した「野川ほたる村」は、はけ、湧き水、野川の自然再生にかかわる市民団体のひとつ。「蛍が舞う川を復活させよう」と、都立野川公園内の自然観察園を中心に蛍の幼虫の飼育やエサとなるカワニナの増殖を始めたが、その後、都立武蔵野公園内の調節池や原っぱ、公園北側の森などに活動領域を広げた。
現在のメンバーは38人。年20回近くもの観察会、講座、畑の収穫祭、虫を聞く会といった多彩なイベントを開く。村長の江頭輝(えがしら・てるし)さん(78歳)に活動現場を案内してもらった。
まず、都立武蔵野公園の北側一帯、「はけの森」と呼ばれる場所。このうち別荘跡地約1ヘクタールを都が買い取り、閉鎖管理地になっている。植物に詳しいメンバーが「笹が一面にはびこり、常緑樹やモウソウチクが繁茂して薄暗い森になっている。明るい雑木林にして鳥や蝶が飛び、山野草が咲く森にしたい」と提案したのを受け、村が下草刈りや植生調査を続けてきた。
その結果、桜の木にアオゲラが穴を開けて卵を産んだり、東側に棲むオオタカが飛んできたりする森になった。環境省のレッドリストで準絶滅危惧種のキンランも咲く。どんぐりから育てたクヌギ、コナラの林もある。
また、武蔵野公園内の野川第一、第二調節池では、市民団体、研究者、都、小金井市でつくる協議会が作られ、田んぼ、湿地、ため池などを再生する自然再生事業が行われている。ここも野川ほたる村による提案書がベースになった。
公園内の「くじら山」と原っぱは、そこを「第三調節池」にしようという都の計画に対し、お母さんたちが反対して残った。はらっぱ祭りで子供たちの歓声が響く。
住民によるマンション建設反対運動が発端で保存された滄浪泉園。市民団体の発案で始まった調節池の自然再生事業。母親らの運動で残った原っぱ。「市民運動の積み重ねで残り、再生された水と緑なんです」と江頭さんは強調する。
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