
日本には定期的に「為替の季節」が訪れる。かつては長く円高に苦しめられたが、ここ2年ほどは円安が心配の種となっている。海外在住の友人から「通常のニュース番組で、最後に欠かさず為替と株価を伝える国は日本ぐらいだろう」とよく言われるが、それは日本人が“相場好き”ということではない。この半世紀、ずっと為替レートに振り回され続けてきた名残なのである。
国際通貨基金(IMF)の分類によると、為替制度にはフロート(変動相場)制、管理フロート制、固定相場制、その変形であるカレンシーボード制などがある。日本は戦後1ドル=360円の固定相場制を採ってきたが、1971年の米国による金・ドル交換停止(ニクソンショック)を受けて暫定フロート制に移行し、同年12月のスミソニアン合意で再び固定相場制(1ドル=308円)に復帰した。
だが、米国経済の弱体化と日本の躍進を背景に円の再切り上げ圧力が高まり、73年2月、ついに完全フロート制に移行せざるをえなくなる。その後も為替管理をめぐる議論は続いたが、変動相場制は現在に至るまで続いている。
今号から4週連続で、日本が完全フロートに追い込まれた73年2月の騒動を振り返ってみようと思う。変動相場制へ一気に舵を切った裏には、米側の都合だけでなく、実は日本独特の「財政の論理」も絡んでいた。
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