
1971年のニクソンショックで1ドル=360円の固定相場制の崩壊に直面した日本は、その後も円の切り上げを最小限に抑えようともがいていた。
だが、対日貿易赤字にいら立つ米大統領のリチャード・ニクソンは73年2月、財務次官のポール・ボルカーを日本に送り込む。密使のボルカーが蔵相の愛知揆一に示したのは、ドルを金に対して10%切り下げ、円を10%切り上げる「Ten to Ten Formula(10%対10%方式)」だった。
予想を超える円切り上げ案に驚いた大蔵省は、会談翌日の2月10日に外国為替市場を平常どおり開くべきかどうかを検討する。
当時財務官だった稲村光一のオーラルヒストリーによると、事務レベルでは市場を開くことが決まったが、10日の朝に報告を受けた愛知が「まだドルを買えというのか」と国際金融局長の林大造を一喝し、即時閉鎖を命じた。これにより東京市場は欧州に先駆けて閉鎖されることになる。
稲村はオーラルヒストリーで次のように証言している。
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