「フクシマ論」筆者が仕掛ける福島ツアーのうまさ 参加者が口にする"頭でっかちではない魅力"
数年前には外国人迷惑系YouTuberによる配信が話題になったこともある。ただ、インバウンド観光客の大部分を占めるのは、世界史に残る負の遺産や災害からの再生を学ぼうとやってくる外国人だ。
「15年という時間軸は、忘却と冷静さとの両方をもたらしました。多くの人にとってはもう過去のことですが、関心をもって調べてみると、この地を訪問してみたくなるような魅力が生まれていることにも気づく。災害の痕跡もそうですが、食であり、人であり、再生の中で見出された新たな文化もその1つです」(開沼氏)
地域の魅力の説明責任を要求された地域
開沼氏はそうした魅力の真髄に触れる機会をつくろうと、大学で教鞭をとる合間をぬって、多くの人のツアーガイドを買って出ている。まず案内するのが「酒づくり」だ。
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原発事故による避難地域内には、ワイナリーが2軒、日本酒の醸造所が2軒、クラフトビール工場にクラフトジンの蒸留所まである。つまり一時は「死の町」とも形容されたエリアが、いまや「地の酒の町」となっているわけだ。
しかも、こうした生産拠点ができたのは震災以降のこと。1日では回り切れないほど多様な酒づくりの拠点が集積している場所は、国内外探してもほかにないという。開沼氏の知り合いの生産者の1人もしみじみと語る。
「もちろん、それぞれの生産者や関係者の思い、バックグラウンドはさまざまで一概には言えない。あえて表現するなら、地域資源の豊かさや深さを国内外に発信する必要性に迫られた、もっと言えば世界で最も地域の魅力の説明責任を要求された地域だということ。そういう時空間が災害によって発生したということです」
例えば海外で「福島には人が住めるんですか?」と問われたことが原体験になり、この地域で新たな事業を起こしたと語る人は珍しくない。放射線の問題もあって避難せざるをえず、産業も止まってしまった。にもかかわらず、なぜここで今、生活・生業を再生するのか──。この地はそう問われ続けながら、それに答えを出そうと奮闘してきたと開沼氏は解説する。
とはいえ、地ワインや地ビールの開発を通したまちづくりは決して珍しいものではない。他地域と福島とでは何が違うのか。
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