サービス残業という地雷 伊藤勝彦・小國佳代著
本書は弁護士と社会保険労務士の共著だ。内容から推測すると、前半を弁護士が、後半を社労士が担当したようだ。残業に関する労務管理について熟知しているつもりの人事担当者は多いと思う。しかし前半の問題提起を読むと、事の重要性を認識するだろう。弁護士の伊藤氏は、これから未払い残業代請求時代がやってきて、多くの企業が倒産するだろうと予測している。起こりそうな予測である。
残業代は、企業にとって悩ましい問題だ。本書でも指摘しているように、残業代を定める労働基準法が前提としているのは「工場労働」の色彩が強い。工場の稼働に伴って発生する残業なら、その付加価値を測りやすい。残業代を払っても利益が最大化されるから、工場を稼働させるのだ。
ところが現代では、労働の主体は工場労働ではなくオフィスワークである。オフィスワークは、時間と付加価値の関係がはっきりしない。だから、できるだけ残業代を払いたくない。そして一方では残業規制が行われ、他方ではサービス残業が常態化している企業が多い。
しかし現在は労働者と企業との一体感が失われた時代。そして多くの人間は転職して企業を渡り歩く。そういう労働者が「意図」して、企業に未払い残業代を請求し始めたらどうなるか?
ここで別の事象を見てみよう。「過払い金請求」だ。消費者金融会社に、払いすぎた利息の返還を求める「過払い金請求」は、法律事務所によるテレビCMや電車内の広告で広く世間に認知され、ついに武富士を倒産に追い込んだ。
「過払い金請求」はサービス残業代と関係なさそうだが、法律事務所から見ると、同じことなのだ。裁判では負けることがなく、必ず勝つことができて、支払ってもらえる事案なのだ。
2010年6月にグレーゾーン金利が撤廃され、新たな過払いは発生しないことになった。まだまだ「過払い金請求」の事案は多いが、やがてなくなる。そうすると、これまで「過払い金請求」を扱ってきた法律事務所が、「未払い残業代請求」をあおる可能性がある。
たぶん法律事務所の宣伝がなければ、消費者金融に利息を払いすぎていたことに気づかない人が多かったろう。電車内の広告やテレビCMを見て「もしかすると私も」と考えて、法律事務所に相談したに違いない。サービス残業でも同じことが起こる可能性は高い。
1日8時間、週40時間の労働時間だけという労働者はほとんどいないと思う。しかし正当、正確に残業代を支払っている企業はどれだけあるのだろうか。きちんとした労働組合のある企業は、あまり恐れる必要はない。たとえサービス残業の実態があったとしても、労働組合が認めていたのなら、法律事務所が元社員から相談を受けて乗り出してきても企業が裁判で負ける可能性は低い。
しかし労働組合がなく、就業規則に配慮がなく、ワンマン経営者が勝手に采配している企業の場合は、勝ち目はゼロだろう。
退職者にサービス残業代を請求される場合、被害金額はどれくらいか? 本書では月給20万円の社員に毎日2時間のサービス残業をさせていたとするケースで計算している。未払い残業代は過去2年間分をさかのぼって請求でき、このケースでは2年分で約150万円。労基法第114条に基づき同額の付加金も請求できるから、裁判所が認めれば倍の300万円。
こういう訴訟は、「あいつがもらえたのなら、オレも」と連鎖していくものだ。数人がまとまって請求すれば、1000万円くらいになってしまう。企業が資金繰りに行き詰まってもおかしくない金額だ。
もちろんほとんどの経営者は、「わが社に限ってそんなことは起きない」と自信を持っていると思う。いろいろな対策を講じているだろう。よく知られている対策は、「名ばかり管理職」「変形労働時間制」「みなし労働時間制」「年俸制」などである。
それらが残業代支払いから逃れるための方策だとしたら、たぶん勝ち目はない。未払い残業代の請求方法は多様化している。労基署への駆け込み、法律事務所への相談に加え、今日では1人でも加入できる労働組合に入って請求することもある。いずれのケースでも企業が勝てる可能性は低い。「辞めた社員の報復」を防ぐには、労務管理体制の確立と正しい制度運用の手続きが必要なのである。
(HRプロ嘱託研究員:佃光博=東洋経済HRオンライン)
経営者新書 777円
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