かつて習近平の下で語られた民主と台湾融合発展 台湾との統一へ中国が掲げる融合発展の源流

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台湾統一へ執念を燃やす中国の習近平・国家主席。台湾対岸の福建省での経験が背景にあるとされるが、現在の台湾政策に通じる議論の源流がその30年前にある。

台湾統一を目指す中国の平潭島

台湾の対岸にある福建省の平潭島は台湾に一番近い場所として観光客が訪れている(写真:Bloomberg)

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※本記事は2024年12月28日6:00まで無料で全文をご覧いただけます。それ以降は有料会員限定となります。

近年、習近平指導部は「両岸融合発展」のスローガンを掲げて、中国と台湾の間の経済交流と人的往来の促進に努めている。台湾海峡を挟んで対岸に位置する福建省が、その政策実践の主な舞台である。

2019年3月の全国人民代表大会の会議で、福建省代表団の討議に参加した習近平が、「海峡両岸の融合発展の新たな道」の模索を指摘し、同省がその手本を示すよう指示した。「両岸融合発展」の言葉はここに由来する。

習近平は2021年3月の福建視察の際にも融合発展の加速を訴えた。これを受けて2022年8月には、中央政府が福建省全体を対象とした「海峡両岸融合発展モデル地区」の創設を決定。2023年9月には経済・社会・文化交流の促進を柱とする政策文書が、党中央と中央政府の連名という高い政治的格付けで発表された。

「融合発展」の源流は1990年代にある

経済合理性の観点からいえば、経済協力のパートナーとしては福建よりも経済先進地の上海や広東省の方が、台湾人ビジネスパーソンにとって魅力が大きい。にもかかわらず、福建がことさらクローズアップされる理由の一つは、1985年から2002年まで、実に17年もの長きにわたって福建省で勤務した習近平の個人的な思い入れが影響しているのは間違いないだろう。

習近平の個人史において、「両岸融合発展」の政策的発想の源流は、福建省党委員会の専従副書記や同省の省長を務めていた時期(1996~2002年)にさかのぼる。省党委員会の「台湾工作領導小組」の副組長や「外事工作領導小組」の組長の役職を務めるなど、当時の習近平は、福建省の対台湾政策の主要な責任者の一人であった。

折しもこの時期は、①1996年に台湾で初めて実施された総統直接選挙と李登輝の当選、②1999年の李登輝による「二国論」(台湾と中国は特殊な国と国との関係)発表、③2000年台湾総統選挙での陳水扁勝利による初の政権交代(=台湾の民主化過程の完成)など、台湾政治と中台関係の一大転換期だった。上記①②③を契機とする中台間の軍事的緊張の高まりを、習近平は福建の現場で直接的に体験した。

ただし、当時の習近平の台湾認識を直接的に示す資料は管見の限り公開されていない。その代わり、政策過程の情報環境に着目した場合、福建省の台湾関連の政策立案に際して、責任ある立場にあった習近平がいかなる主張や意見に接していたのかという問題については初歩的な分析が可能だ。その際、当時の福建省の台湾政策に関与していた多くの専門家たちによる台湾の内外政に関する外部非公開の情勢分析レポートは主要な検討材料となる。

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