これらの内部文書を読むと、1990年代後半から2000年代初めの頃には、現在の「両岸融合発展」政策の原型を含む、複数の《融合発展》の構想が存在したことがわかる。それらの議論の中身を確認しておくことは、台湾有事をはじめ、今後の中台関係のシナリオ・プランニングの面でも示唆に富む。
傀儡政権樹立から民主化までの多様な「融合発展」
前述した外部非公開の複数の報告書からは、「中国と台湾が互いに影響を及ぼし合うことで各々の政治・経済・社会的変化を生み出す」、すなわち、字義どおりの《融合発展》の可能性について、3つの提案が存在した。これらを便宜的にA案、B案、C案と呼ぼう。
A案は、経済・社会・文化領域の交流と協力の蓄積を通じた中国主導の政治統合の展望である。現在習近平政権が推進している「両岸融合発展」の政策的原型だ。具体的には、福建省内で対台湾経済特区を創設し、中台間で一体化された経済圏を作り上げることが提案された。
ただし、その真の狙いは、台湾と大陸の経済システムの連結・統合(当時も「経済融合」と称された)の実現により、台湾の経済的自立性を破壊して、中国に対する政治・経済的依存を余儀なくさせ、中台統一に向けた政治的主導権を握ることである。福建省政府台湾事務弁公室が、1997年10月と2000年2月にそれぞれ作成した政策レポートには次のような記述がある。
平時・中国主導・経済融合をキーワードとするA案に対し、B案は同じく中国主導だが、有事における政治的融合というべきものだ。その要点は、中台間で武力衝突の危機が高まった際には、戦争回避の方策として、中国側の主導と支援により、金門島や馬祖列島に台湾統治を謳う傀儡政権を樹立するというものである。
2002年10月に、習近平が浙江省党委員会書記に昇格して福建の地を離れてからおよそ1年後の2003年11月、台湾の陳水扁政権は住民投票法を採択した。中国はこれを台湾当局による新憲法制定と台湾独立に向けた第一歩と捉え、中台関係は極度に緊迫した。
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