ハワイ「ABCストア」誕生の裏にある日系人の物語 日焼けのキティちゃんなどグッズが人気に
経営の舵取りを担うのは、日系3世のポール・コササ氏だ。創業者の父、シドニー・コササ氏から経営権を引き継いだのは25年前のこと。観光市場をターゲットしながら、9.11アメリカ同時多発テロ、リーマン・ショック、日本の東日本大震災、そして今回のパンデミックと、数々の「観光危機」とどん底からの復活を経験してきた”サバイバー”の企業経営者でもある。
さらに、ポール氏の責任はこれだけにとどまらない。非営利団体の活動を支援するために両親が設立したコササ財団会長、ハワイ交響楽団会長のほか、セントラルパシフィック銀行、クアキニ病院の理事などを務めている。多くは、日系人や移民のために設立された団体や組織の職責が中心だ。
ビジネスの本業で得た収益の一部を日系人社会、ハワイのコミュニティーに投資して分配されるこうした「エコシステム」が、ハワイの社会インフラの重要な一端を担っているのだ。ABCストアが、地域社会との関わりを重視する背景には、家族の物語が深く関わっている。
出稼ぎ移民が始めた商店が始まり
コササ家のファミリービジネスの歴史は、戦前の1917年にまでさかのぼる。岡山県から農園労働のため移民でハワイに渡った1世のモリタ・コササさんとミツエさん夫妻が始めた「M. KOSASA商店」にルーツがある。
元は「小笹(おざさ)」だったが、客が呼びやすいように「KOSASA(コササ)」に名字を改めたという。缶詰やパン、米などの食料品から雑貨、灯油、氷など生活に必要なものを仕入れて販売し、次第に店は繁盛するようになった。
当時のハワイには、さまざまな国や地域からやってきた貧しい出稼ぎ移民であふれていた。
「移り住んだ当初は皆ほとんどお金を持っていなかった。福祉も最低賃金も、何もない。家族が暮らしていくには、知恵が必要だった。驚くべきことに、多くの日本人移民はとても機知に富んでいた。友人や親戚のネットワークを利用して、食卓に食べ物を並べた。住居を見つけることもできた。だれかが米袋を手に入れたら、みんなで分けようと言った。それが自然だった」
モリタさん・ミツエさん夫妻は、近所の人や従業員と家族のように接し、住まいのない人には寝床や職を提供した。卸業者には支払い期日の約束を守り、品物の代金を支払う余裕のない人には、払えるようになるまでいつまでも待ったのだという。
「引退したある牧師が私に話してくれたことがある。住まいも食べ物もなく困っていたときに、祖父母が『それならうちで暮らそう』と言ってくれたと。彼が自立できるようになったとき、祖父母の寛大さを決して忘れることはなかった。彼らはみんな日本人で、互いに助け合うことでネットワークを築いてきたのだと思う」とポールさんは振り返る。
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