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4兆円ファンド創業者「リアル半沢直樹」からの転身 銀行再編で出世コース離脱、金融市場の最前線へ

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日本の「ザ・銀行マン」が、イギリスでファンドを創業するまでの意外なキャリア。4兆円ファンドに成長する契機となったブラックスワンの出現。さらに金融市場のフロントランナーが実践する「利益の源泉」の見つけ方とは。

出世を志していた銀行員が、イギリスでファンドを立ち上げた事情とは(撮影:梅谷秀司)

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株が上がろうと下がろうと利益を生む――それがヘッジファンドである。成功すれば巨額報酬を手にできるが、数年で消え去るファンドも多く、極めて熾烈な業界だ。
この業界でもっとも成功している日本人が、イギリス・ロンドン在住の浅井将雄氏。彼が共同創業したイギリスのキャプラ・インベストメント・マネジメントは、債券系ヘッジファンドとしては世界最大級だ。なぜ浅井氏は「マネーのサムライ」としてグローバル金融市場で生き残れたのか。浅井氏へのロングインタビューの2回目(1回目を読む)をお届けする。

「お前は日本一の為替ディーラーになれる」

――キャプラの運用総額は4兆円に上り、世界でもっとも大きい債券系ヘッジファンドのひとつとして機関投資家の間で知られています。浅井さんも高額所得者として、イギリスメディアの長者番付に何度もランクインしています。ここまで成功できる勝算は、創業当初からあったのでしょうか。

いや、とんでもない。キャプラを作った当時に想像した10倍、いや30倍の規模になりました。そもそもトレーディングの世界に入ったこと自体が、思いも寄らないきっかけでした。

大学を出て東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)で支店勤務をしていたのですが、あるとき支店長に「お前は日本一の為替ディーラーになれる」と言われ、東京の為替チームに送り込まれたんです。

この支店長が1980年代にディーラーとして活躍した人だったおかげで、銀行間取引のドル円ディーラーという花形ポジションに、初っ端から座らせてもらえました。唐突に新天地に送り込まれましたが、大きなチャンスを与えてもらえたのです。

当時の日本の銀行業界は、バブル崩壊で負った不良債権をカバーするために、新たな収益源としてトレーディング業務を強化する流れでした。だから当時の支店長も、ディーラーになったほうが僕のキャリアにとってよいと考えたのでしょう。あのときの支店長の適切なアドバイスには、今でも頭が下がる思いがします。

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