「優しさ・思いやり」が強調される日本の人権教育、世界と大きくズレている深刻 政府の義務が自己責任にすり替えられる危険性
当時の世界では、一国の人権問題は国内問題で内政不干渉だと解されていたため、あの大規模人権侵害を食い止められなかった。その反省に基づき第2次世界大戦後、国連を作るときに国際社会は「一国の人権問題は国際関心事項」と決めた。
そして、1948年に「すべての人」が誰にも侵されることのない人間としての権利を生まれながらに持っている、ということを表明した世界人権宣言が採択された。人権の主体は「すべての人」である。この「普遍的」な人権概念が社会に根付かなければ、差別などの人権問題の改善は困難だろう。仲間への「思いやり」だけでは不十分なのだ。
※ 例えば、大阪市立大学(現在は大阪公立大学所属)の阿久澤麻理子教授が1999年から2000年にかけて東京から福岡まで1736人の学校教員や社会教育の担当者を対象にアンケートしたところ、その多くが人権を思いやりなどの抽象的価値観と同一視していたという
世界で118機関設立されている「国内人権機関」が日本にない
人権教育について大きな役割を担うのが「国内人権機関」だ。これは英語の National Human Rights Institutionのことで「国家人権機関」と訳されることもある。国際人権基準を国内で実施するために重要な役割を担うもので、人権機関の地位に関する原則(パリ原則)に従い、独立性を確保したものが求められる。2024年6月現在、すでに世界で118機関が設立されているが、日本はいまだに設立への見通しが立っていない。
国内人権機関の役割の1つが人権教育で、例えばフィリピンではそのスタッフがジープで山村を訪問し、「自分たちの人権にはどういうものがあるのか」について授業をするという。そして、小学校でも子どもの権利条約の内容が掲示されている。
英国にも国内人権機関があり、そのウェブサイトにあった動画を見ると「人権とは?」「差別とは?」という質問に対し、6歳くらいの子どもたちが「ただ単に信条が理由で、違った扱いを受ける人もいるよね」「もし権利というものがなかったら、人々は世界中でいじめに遭っていたと思う」という具合にみんなしっかり答えていて、人権についてきちんと教えられていることがわかる。
自分の権利を理解し、ほかの人の権利行使も尊重する、そういう人権教育を受けた子どもたちが大人になり社会人となっていく。その中に、政治家、教師、ジャーナリスト、企業の重役など、影響力のある立場の人も多く含まれる。その政策決定過程や発信に人権意識が反映され、さらに社会に影響を与える可能性も大きい。教育の役割は重大だ。日本でも本来の人権教育の普及が望まれる。
(注記のない写真:Davidovich / PIXTA)
執筆:藤田早苗
東洋経済education × ICT編集部
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