「優しさ・思いやり」が強調される日本の人権教育、世界と大きくズレている深刻 政府の義務が自己責任にすり替えられる危険性
一方で、日本の「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」には、人権教育とは「人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動」であると定義されて、個人が優しさや思いやりをはぐくむことを目的としたいわゆる「優しさ・思いやりアプローチ」の教育が強調されている。そして多くの人が、人権とはそういうものだと理解している※。

エセックス大学人権センターフェロー/写真家
大阪府出身、英国在住。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。エセックス大学で国際人権法学修士号、法学博士号取得。日本の人権状況向上を切望し、国際社会に日本の人権問題について知らせ、日本に国際人権を伝えるために奔走しているアカデミック・アクティビスト。特定秘密保護法案(2013年)、共謀罪法案(2017年)を英訳して国連に通報し、その危険性を周知。2016年の国連特別報告者(表現の自由)日本調査実現に尽力。著書に『武器としての国際人権―日本の貧困、報道、差別』(2022年集英社新書)。 2023年日隅一雄・情報流通促進賞奨励賞受賞。なお、筆者の講演会などの詳細は 「日本の表現の自由を伝える会」HP参照
(写真:筆者提供)
人権について思いやりを強調するときに起こる第一の問題は、「政府の義務」の議論が抜け落ちることだ。そのため人権問題が起これば、それは「自己責任」だといわれる。「政府の義務」の議論から注意を逸らすには、優しさ・思いやりと自己責任論の強調は好都合だろう。
実際、以前新聞に掲載された政府広報に「子どもの貧困 あなたにできる支援があります」として子ども食堂などを例にあげるものがあった。本来、政府には「子どもの貧困」という重要な人権問題を改善する義務があるにもかかわらず、この政府広報は、人々の「優しさ」に貧困問題を丸投げし、自らの義務を放棄しているといえる。
菅義偉首相(当時)は2020年の就任会見で「自助・共助・公助」という、自助を重視したキャッチフレーズを掲げていた。人権について「思いやり」を強調することで、政府は義務を回避し、人々への自己責任論を強固にしているのではないか。
また、優しさ・思いやりアプローチは普遍的な人権概念から見ても問題がある。人は自分の仲間には思いやりを持つことはさほど難しくはないだろう。しかし自分と異質な人たち、好きになれない、偏見を持つ相手には違う態度で接したり、差別的な扱いをしたりする傾向があるのではないか。それが特定の民族集団への人種差別政策となった究極のものが、ナチスによるホロコーストだった。