平手友梨奈「事務所社長から拘束」プロモの危うさ 移籍の布石?も、得策とは言いにくそうな理由
とくに人権面においては、旧ジャニーズ事務所での性加害問題が話題になって以降、抵抗感も大きい。もちろん、一連の写真は「ネタ画像」であろう。しかしながら、「ネタであってもNG」「不謹慎だ」とツッコミの余地が生まれた瞬間、向けられる視線は鋭くなる。
千木良氏の投稿が、平手さん同様に写真のみだったら、まだ違和感は少なくて済んだ。しかし「拘束」の表現を入れたことで、受け手に「平手さん本人は同意しているのか」と心配させることになる。
いくら「健やかに」と前置きされていても、被写体本人と撮影者、そして投稿者の認識がイコールであるとは限らない。そもそも、仮に平手さんが千木良氏のマネジメントを受けるとなれば、完全に対等ではなく、「嫌だ」と言い出しにくい関係性になっている可能性もある。
昨今では、ドラマや映画などの性的・暴力表現について、専門の第三者を仲介させるなど、コンプライアンスに配慮した動きが盛んだ。そうした「変わろうとしている芸能界」の風潮に逆行しようとするメッセージを与えるのではないかと、心配になってしまう。
ファンの想像をふくらませ、話題になったOasisの投稿
受け手の想像をかき立てるティザー広告と、SNSマーケティングは親和性が高く、それは芸能関係も例外ではない。つい先日(8月26日)も、イギリスの人気ロックバンド「Oasis(オアシス)」が日時だけを示した動画を投稿。予告した時刻に再結成を発表し、大きな話題を呼んだばかりだ。
しかしOasisの場合は、文章は添えずに「日時を予告する動画」のみを投稿した。情報を少なくすることにより、ファンの想像はふくらみ、期待感も増す。そして、臆測があらぬ方向に行かない程度の短いスパンで、正式な発表を行う。
Oasisが「情報量を絞る、発表タイミングを記す、予告から発表まで短期間」の3条件で注目されたと考えると、平手さんのケースは、そのすべてが正反対に思える。
また、千木良氏の投稿は、「平手さんのプロモーション」よりも、どこか「千木良氏の意見表明」に重きが置かれていたように感じられる。感情ベースの「エモさ」を軸にしたプロモーション戦略は、たしかに理にかなう場合もあるのだが、ファンが付いているのは、あくまで平手さんであり、千木良氏ではないことを忘れてはいけない。
「拘束から解き放たれる」一連のイメージ戦略は、おそらく新天地における「これまでのイメージや報道にとらわれない活動」を意味しているのだろう。繰り返して言うが、画像のみを投稿し、ファンの考察に委ねたのなら、その方向性でも効果は発揮しただろう。
しかし、千木良氏が「ドタキャンしないための拘束」との文脈を生んでしまったために、考察の余地はなくなり、「逃げた=なにか粗相をする」予告だと曲解してしまう可能性がある。そうした意味でも、得策とは言えないのではないかと感じてしまうのだ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら