東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影

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さて、熊谷バイパスをくぐってさらに歩を進めると、次第に家々の数が少なくなり、田園風景が色濃くなってゆく。道路際の田んぼに埋められた境界杭に「東武」の文字が見られる。この道をたしかに鉄道が走っていたことを示す証しである。

東武熊谷線 境界杭
「東武」と刻まれた境界杭が、ここが鉄路であったことの唯一の証しだ(筆者撮影)

田園風景の中を延々と歩き、単調な景色に少し飽きはじめた頃、福川というやや大きめな川を渡る。ここに架かる「東武橋」は、熊谷線が走っていた当時の鉄橋からコンクリート橋に変わっている。橋桁のプレートを見ると、熊谷線廃止から5年後の1988年に架け替えられたことがわかる。

東武橋 現役当時
東武橋上を行くキハ2000形。統括制御が可能で朝夕の混雑時は2両編成で運転された(写真提供:熊谷市)

「カメ号」の生き残り

福川を越えれば、熊谷線廃線跡の旅も、いよいよラストスパートだ。東武橋から2kmほどで、かつての熊谷線の終着駅であった妻沼駅跡にたどり着く。現在の「ニュータウン入口」バス停付近が駅跡である。

そして、いよいよ今回の旅のクライマックスとなる「熊谷市立妻沼展示館」を訪問する。展示館の建物に隣接して、キハ2000形ディーゼルカーが1両保存されている。この車両は、熊谷線で活躍していたディーゼルカー3両のうちの1両、キハ2002号車だ。車両のドアは施錠されているが事務所で職員に声をかければ、車内も見学できる。

東武熊谷線 キハ2002 保存車
妻沼展示館に保存されているキハ2002号車。当時流行した前方2枚窓の「湘南スタイル」や、側面窓に上段Hゴム固定の「バス窓」などが採用されている(筆者撮影)

保存車両を見ると、昭和の時代にタイムスリップしたような感覚になる。かつての東武の車両はこのようなセイジクリーム一色の塗装だった。車内の座席カバーは、本来はキツネ色だったはずだが、モスグリーンに近い色になっている。日焼けにより変色したのだろう。ちなみに2001号車、2003号車はすでに解体されており、2002号車は熊谷線の唯一の生き残りだ。

キハ2002 車内
昭和を感じさせる車内には、クロスシートとロングシートが設置されている(筆者撮影)

さて、もう少し先まで足を延ばしてみよう。戦時中、利根川を越え、熊谷線を群馬県側へ延伸するため、利根川橋梁の橋脚工事が進められていたのは前述したとおりである。その橋脚は戦後も長い間、残置されていたが、1979年3月までに撤去された。

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