東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影

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しかし、利根川北岸の堤外に、現在も1基だけがポツンと残っている。高さ7~8mはあろうかという橋脚は、戦中・戦後の資材不足の時代に造られたからだろうか、なんとなく不格好に見えるが、熊谷線の歴史を物語る貴重な遺構である。

熊谷線 延伸予定跡の橋脚
利根川北岸の堤外に1基だけポツンと残された橋脚(筆者撮影)

ここからさらに群馬県側の散歩を続けるならば、熊谷線と接続予定だった貨物線・仙石河岸線の廃線跡が「いずみ緑道」として整備されており、東武小泉線の西小泉駅方面へと続いている。西小泉駅からは、太田へも館林へも電車で10数分だ。

熊谷線 公園 案内板
「いずみ総合公園」内の案内板より。熊谷線は、ついに利根川を越えることはなかった(筆者撮影)

熊谷―太田間「新線構想」の現状は

今回は熊谷駅から妻沼を経由し、西小泉駅まで歩いた。同ルートは自動車ならばわずか30~40分ほどの道のりである(熊谷駅―太田駅間はバスで約50分)。しかし、鉄道で熊谷から太田や館林に向かうならば、羽生経由でかなりの時間を要するため、熊谷線の廃線跡等を活用し、太田と熊谷を結ぶ軌道を建設しようという構想が、これまでに何度か浮上した経緯がある。

1991年には、太田市、熊谷市、妻沼町など沿線3市9町(当時)で構成する「埼群軌道新線建設促進期成同盟会」が発足。また、最近では2016年に、太田から熊谷経由で東上線の森林公園駅までを結ぶ「(仮称)森林埼群軌道新線」の建設に向けた基礎調査実施の請願が熊谷市議会で決議された。

だが、現実的には沿線の人口動態などから新線の具体化は難しく、埼群軌道新線建設促進期成同盟会は「20年近く活動を休止していたことから、関係市町と合意の上、2024年6月27日付文書で解散を発表」(太田市企画政策課)した。これにより太田―熊谷間の軌道敷設の可能性は、現時点においてはほぼ消滅したことになる。

また、熊谷―森林公園間に関しても、「コロナ前は沿線市町で構成する新交通システム建設促進研究会で視察等を行っていたが、最近は書面会議のみ」(熊谷市企画課)と活動は停滞している。沿線の人口密度等を考えると、現状、こちらも実現の可能性は低いと言わざるをえない。

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森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など

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