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東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影の写真一覧

野焼き後の田んぼの中を行く東武熊谷線のディーゼルカー、キハ2000形(写真提供:熊谷市)
野焼き後の田んぼの中を行く東武熊谷線のディーゼルカー、キハ2000形(写真提供:熊谷市)
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福川にかかる東武橋上を行く熊谷線のキハ2000形。統括制御が可能で朝夕の混雑時は2両編成で運転された(写真提供:熊谷市)
福川にかかる東武橋上を行く熊谷線のキハ2000形。統括制御が可能で朝夕の混雑時は2両編成で運転された(写真提供:熊谷市)
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太平洋戦争中の軍需輸送路線として生まれ、やがて「カメ号」の愛称で親しまれた東武熊谷線。廃止から40年が経ち、今やその多くは遊歩道や住宅地に姿を変えました。本記事では熊谷線の軌跡をたどるとともに、かつて夢見られた新線構想の現状も掘り下げます。その歴史を旅してみませんか?(このリード文はAIが作成しました)

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